クリスマスは何を食べるだろうか。チキンとか、ケーキとか色々あると思う。
教員をしていた時、大体25日が2学期の終業式だった。
この日が実質成績を返すとか、ものを持ち帰らせるとか、そういった業務に追われる手前、教師をしていた時、クリスマス前後は繁忙期もいいところだった。
終わってやっと、生徒とタイムラグの差で休みが来るため、教員時代はバリバリの戦場からのメリークリスマスだった。
教員最後の日に向け孤独な毎日。クリスマスの街並みは地獄に見えた
去る日の11月。教員を続けて4年目。心も体も壊して休職した。
授業することが怖くなってしまった。休んだら立てるものではないと悟った。
年末、つまり2学期で教師の仕事を辞めることを決めた。
つまり実質、クリスマスで学校を去るわけである。
短い期間で、嫌な手続きや引き継ぎをいっぱいした。心ない言葉もいっぱいかけられた。
診断書をもらって鬱で仕事を休んだはずなのに追い討ちがさらに続いて、この後の仕事どうしようとか考えていた私は、クリスマスムードの景色が地獄に見えた。
残された有給数日で就活をした。
誰かに会うと泣きそうで、むしろ会いたくなかった。かといって孤独感も非常に大きかった。
「美味しいもの食べて元気出して。明るく過ごして」
「クリスマスだから風景とか綺麗だから気分転換に見たら?」
そんなこと言われても無理だった。
「それどころじゃない」と言い返す元気もなかった。
鬱病真っ只中、唯一行くことができたのは、家の近所の洋定食屋くらいだった。
働いているサラリーマンがランチを食べている、クリスマスも浮かれもイルミネーションもない世界はわたしを「何にでもない」人にしてくれる空間だった。
期間の上では年末での退職だけれども、クリスマスで失職だ。
残された数日分の有給で職が決まらなかったら、実質「失業」期間がくる。
どうしようかな。休んじゃってもいいかな。でも起き上がれるかな。
そう思っていた。
会社員始まりの日は25日。安心できずクリスマスイブどころじゃない
そんな時、今の職場に内定をもらった。
25日に書類を取りに来て欲しいと伝えられた。この25日までが安心できなかった。
クリスマスイブなんかそれどころじゃなかった。色んな意味で眠れなかった。
ただ、なんともまぁ25日はあっさりと来た。
この後に面接あったらどうしようとか、なんか言われたらやだなとか、半信半疑になりながら今の上司達と顔を合わせる。
心ない言葉は何もなく、会社に向かうとすんなりと内定手続きをした。
もっと下がると思った年収はそれほどでもなく、肩の荷が降りた。
職場は学校の人数の1/5くらいで、とても静かだった。言葉も何も流れない空間にほっとした。
ここにしよ。お給料も場所も一番適切な気がする。
教師じゃ実質なくなった日、私は別のわたしになることが決まった。
満身創痍でお腹も空いた。
母親から「メリークリスマス」と連絡が来た。
「ごめん!それどころじゃない!」
と、思わず返した。
「やったね。最高のプレゼントだね」
「クリスマスと混ぜないで!」
嬉しいが、私はクリスマスと混ぜたくなかったのである。
久しぶりにいつもの声が出た。
洋食屋で、生姜焼きを食べた。クリスマスよりそれどころじゃなかった。
人生でクリスマスどころではない何かは、誰もが可能性として十分ある
クリスマスはもともとキリスト生誕祭ではあるが、私はある意味、ちょっと前のクリスマスで始まりと終わりを体験してしまった。
人生でクリスマスどころではない何かは、誰もが可能性として十分にある。
だからこそ、感謝し、当たり前である日常をちゃんと味わうべきなのだ。
なにかにつけてイベントが大好きな我々だが、パッピーに過ごせる当たり前の日常についても感謝したい。
転職をしたが、当然今年もクリスマスイブは仕事である。
拾ってくれた上司達を、内定をくれたサンタさんなんてお気軽に言いたくない。
都会の素晴らしい夜景は労働によって生まれている。わたしがイルミネーションになっているわけだが、教員時代よりははるかに労働環境はマシにはなった。
店が閉まらぬうちに、また生姜焼きでも食べに行きたい。
まぁ、今年は土曜日は休みだから、メリークリスマスって、今年は素直にいえるんだけれどね。