私は物心ついた頃から作家だった。
幼い頃から絵本と共に時を過ごし、それを職業にするのだろうと漠然と思っていた。学校の自己紹介で将来の夢を聞かれると、本を書く人と答えていた。
私の頭の中には自然と物語が広がり、小学校を卒業する頃には中編の児童文学作品を2本仕上げていた。それから頭の中でストーリーを組み立てることが、私の余暇となっていた。
小説を書いてみたものの、とてつもなくつまらなく才能の無さを実感
そんな私に再び執筆の熱が走ったのは、高校1年生の時だった。進路を考える必要に迫り、幼い頃の作家になるという夢がよみがえった。
私が書きたいのは人間関係を綴った正統的な純文学で、これらは原稿用紙換算で100枚程度あるいはそれ以上の執筆が求められる。原稿の応募先はA~Eの5社の内のいずれかで、高校生で新人賞を受賞した人も沢山いる。
さあ、私も始めてみよう。そう思い、私は高校1年生から大学1年生の間に3本の小説を執筆し、大手出版社に投稿した。
しかし、世界は広かった。
私の書いたものはとてつもなくつまらない。一応100枚書いたけど、読むのがしんどい。プロが書いた、物語の世界に引き込まれるといった感覚がまるでない。
世界を広げてみようと作家志望の学生が集まる研究会に入ったが、いかに才能がないかを肌で実感した。とても「小説家になりたいです」と言える状況ではなかった。
人間関係に関する記事に触れ、私の生活は自然と活字と隣り合わせに
一旦冷静になり、なぜ私がこれほどにまで小説が書けないのかを考えてみた。
私はそもそも小説をあまり読まない。小説を読むことが生活の一部になっていないから、小説を書くという感覚が自然と身に付いていない。
私は小説を書く時、無理矢理状況を作り上げ、乏しい語彙をつなぎ合わせてやっと文字数を稼いでいた。小説家は向いていない。私は長年抱いていた夢を振り出しに戻した。
ちょうどその頃私は大学で社会学を専攻し、関連する書籍にはまっていた。気づけばスマートフォンを片手に多くの記事を読み漁り、現在世の中に起こっていることを捉えようと必死であった。人間関係に関する記事にも触れ、ひんしゅくを買う行動や悪い男には気をつけようと思った。私の生活は自然と活字と隣り合わせになっていた。
するとどういうことか、読みこなした分だけ自分の読んだジャンルの文が書けるようになっていた。大学の講義では複数人の教授から文才を認められ、そういう道に行くべきだと進められた。
勉強することが好きだった私は大学院へ進学し、共に読む、書くという行為を止めなかった。
執筆活動を通して社会貢献をするため、自著を出版したい
そして私は現在、もう一つの夢であった公職に就きながら、休日に執筆を進めている。
院生時代、私は自身の研究を通して自分にしかできないことを見つけると同時に、多くの人に支えられながら生きていることを学んだ。社会に出たら、これまでお世話になった分、社会に恩返しをしたい。そう思うようになった。自分のことだけで精一杯だった学部生時代からすると大きな進歩だ。
私は自身の経験を綴ることで社会に貢献できるのではないかと思い、小中学生時代に受けてきたいじめについて書き始めた。
「あんた、よく生きていられるよね」そう言われながらも生きることをやめなかったこと、人間不信に陥り、人の不幸を笑う人間になってから、社会貢献意識を高く持った現在までの生き様の変遷。私は一つも飾ることなくリアルに経験を書き記した。
執筆活動を通して、人の役に立ちたいとより強く想うようになった。現在いじめを受けている人、あるいは後遺症に苦しんでいる人に対して生きる希望を与えるために、私は筆を執る決意をした。
だから、43000字程度の完成予定の自著『いじめ後遺症』を世に知らしめるために、本を出版するという夢を叶えたい。