留学で培った英語力を無駄にしたくなかったのも、一つの立派な理由
旅?旅行?好き!大好き!
旅行に出ない人生なんて考えられない!
……と思い始めたのは、大学2年の頃に行った留学後からだ。
その理由をいくつか挙げてみたけれど、どれもしっくりこない。
それまで旅行は好きではあったが、そんなに頻繁に行くほどではなかった。
留学後からは特に海外に足を運んだ。
年に一度。新しい国に行く。そこで新しいものに触れ、新しい経験をし、英語を話す。そんな毎年の恒例を作ってから5年を過ごしていたら、私の訪れた国は15か国を超えた。
最初の言い訳は「英語を話す機会をなくさない」だった。せっかく留学で培った英語力を無駄にはしたくなかった。
これも一つの立派な理由だ。
思いつく理由は他にもたくさんある。
刺激が欲しいとか、世界史の図説で見ていたあの写真に写っている実物を自分の目でみたかったとか、現地に訪れ、そこに住む人と交流して、自分で見て触れて判断したいとか、各国の良さ、そして自国の日本の良さを再確認する機会を設けるとか、たくさん思いつくが、どうしてか確信的な答えになっていない気がした。
なんだかしっくりきていないのだ。
自分が旅を求めている、真の理由がわからないことに気づいた
なくても死なない。けど欲している。
現状、国内旅行には時々行けているが、海外にはもう2年ほど行けていない。あれだけ夢中になって、あれだけ楽しみにしていた海外にいけてはないが、実は、それで死ぬほど辛いわけでもない。
でもやっぱりコロナが明けたら行きたい国を考えるし、いつになったらいけるのだろうと待ちわびる気持ちが常にある。友人と口を揃えて「そろそろ行きたいね~」としみじみ話をするし、YouTubeで海外の動画を見て行っている気分を味わっている。
なぜ、私には旅が必要なんだろう。
のめり込んだ世界の魅力。私に旅が必要な理由とは?
私は矛盾が嫌いだ。自分の行動には基本的に理由があったし、感情にも説明がついた。
世の中の流れにも、事柄にも理由を求めた。そんな私が、ここに来て自分が旅を求めている真の理由がわからないことに気づいた。
なぜ、私には旅が必要なんだろう。
みなさんは「グッド・ウィル・ハンティング」という映画を知っているだろうか。
主人公は心に闇を抱える青年だが、とても優秀で、読んだ本の内容を忘れることがない。そんな青年の才能を認めた教授が彼をセラピーに通わせるが、彼は本で得た知識でカウンセラーのショーンに歯向かう。そんな彼にショーンが放った言葉が、正に私の考えを代弁してくれている!!と感じた。
そのセリフは「君にシスティーナ礼拝堂の匂いは語れない。そこに立ってあの美しい天井を見上げたことはない。君から学ぶことは何もない。全部本に書いてあるからね」(大意)。
表面的な情報ではなく、リアルな事実を知る事も旅に出る理由
本から得られる知識、YouTubeで見られる海外の動画、ネットで検索したらすぐに出てくるきれいな写真。どれも、いとも簡単に体験した気分を味わえる。それを否定する気はない。
でも、私はショーンが言ったように自分の目でみて、触れて感じたい。
実際に足を運ばなければ、グランドキャニオンのカラッとした暑さ、渓谷を通る風の感覚を味わうことも、鏡張りの景色が360度広がっているのがウユニ塩湖と思い続けるだろうし、雨の日に訪れなかったらヴェネツィアのゴンドラには歌を歌ってくれる陽気なイメージを持ち続け、生活排水臭がする幽霊船のようなゴンドラの現実を知らずにいただろう。
表面的な情報ではなく、リアルな事実を知る事も私にとって旅に出る理由だと思うが、自分がしっくりくる、私に旅が必要な確信的理由はまだ見つかっていない。
もしかしたら私は、なぜこんなに世界に惹かれるのか知りたくて旅をしているのかもしれない。
それが確信に変わるまで、私は海外に足を運び続けるだろう。