借りる手立てさえ失った私は、自己破産の申し立てにまで
永遠に結論の出ないであろう、「人間にとって必要なのはお金か愛か」論争。
これに私は、「人間にとって最も必要なのはお金である」に、一票を投じたい。
私はお金がない。
こんな自信を持って言い切るのもおかしな話だけれど、本当にお金がない。
食べ始めると止まらなくなる摂食障害という厄介な病気と仲良くなってしまったが為に、1日安くとも1万円は食費にかかり、月にかかる食費は30万円を超える。
そしてそれを治すべく、体に効果を及ぼしているのかいないのか分からない治療費に月に4万円。
吐く回数に比例して行かなければならない月1万円弱の歯医者代。
加えて家賃や光熱費なんかが掛かるものだから、月々の出費は最低でも40万円を超える。
手取り月10万円ちょっとのフリーターがそんなお金を支払えるはずもなく、気づけばカードローンやクレジットのリボ払いと、総額300万円を超えるマイナス。
遂には借りる手立てさえ失った私は区の自己破産を申し立てに行き、一通り手続きを行ったけれど、両親のサポートもあり、なんとか自己破産は逃れることが出来た。
こんな話をして何が言いたいかというと、つまるところ、私はお金がない。
相次ぐ結婚祝い。泣く泣くみんなと同じ額を出して祝福を
お給料日まであと5日で職場への交通費含め残金500円を切ったり、カードの支払いが滞ったりは日常茶飯事で、毎日毎日私の頭の中はお金のことでいっぱいだ。
そんな私の状況を見て、ご飯代を全て出してくれる友人や、一人暮らしをする私が飢え死にしないようにと支援物資を送ってくれる友人もいて、みんなの愛のおかげで生きている!!!
そう思うことは多々あるけれど、そうやって誰かに情けをかけてもらえるのも、日頃私が必ず払うべきものを払っているからである。
怒涛の結婚ラッシュにより、毎月の誰かの結婚式へ参列し、式はしないまでも誰かへの結婚祝いを贈り、プレゼントする為に働いているのかというほどに、この一年は贈り物をする機会が多かった。
友人の幸せはそりゃあもちろん嬉しいのだけれど、実家を離れた私は帰るのにまずはお金がいる。そして帰る為に仕事を休まなければならない。
そして更に結婚式への参列ともなれば、常識として3万円を包んで持って行かなければならない。加えてヘアセット代や、久しぶりに会った友人たちとの二次会など、それだけでは収まりきらない。
あまりにも結婚式が続くものだから、断ろうと思ったこともあったが、今までお世話になってきた優しさを蔑ろにしてしまうようで、そんなことは出来なかった。
仲良しグループみんなで買った結婚祝いも、お金がないから1人だけ後から払います、なんてことは出来ず、泣く泣くみんなと同じ額を出して、みんなと同じようにメッセージを書いて、みんなと同じようにおめでとうと祝福した。
究極の2択を考える。お金がなければ愛を失ってしまうこともある
じゃあ仮に結婚式を全てお金がないからと断っていたら?
私は貧乏なのでご祝儀は3千円しか払いません、なんて言ったら?
プレゼントはお金ができた頃に渡すのでみんなでどうぞ、と一緒に買わなかったら?
確実にみんなは私に呆れただろうし、なら次からは呼ばないでおこう、だとか、これから仲良くするのはやめよう、という発想に至ったはずだ。
事情を知っているからこそ、友人たちは気を遣ってくれる。
それでも必要最低限のマナーとして払うべきところは払わなければならないのだ。
そうすることによって、私は時にお金で買うことができない優しさを貰うことができたり、温もりを感じることができるのである。
言ってしまえば生きていくのにお金も愛も必要だし、両方満足できるほど持っていれば最高だ。けれど究極の2択に迫られた場合、愛がないからお金まで失うことはないけれど、お金がなければ愛を失ってしまうこともあるのである。