中学生の頃から現在まで、私にはとても大きな願望がある。
堂々と言ってしまえば少し馬鹿にされそうだが、その願望とは「時代を越えたい」ということである。そんな子供じみたことを、と思われるかもしれないが、私は約10年間、本気でタイムスリップを夢見ている。
特に日本の近代(幕末、明治、大正、昭和)をこの目で見ることができたら最高だ。そんな私の願望に少しだけ近づけてくれるのが、「旅」である。

傍から見たらまるで修行?歴史を巡る一人旅

13歳の頃に出会った時代もののゲームをきっかけにスタートした私の近代史好きは、本や画面の中に留まらず、いつからか自分の足で、目で感じなくては気がすまなくなってしまった。近代は、失われずに残っている建築や美術品が多く、写真の登場によりリアリティを感じられることが魅力のひとつだと思う。
例えば、福島県にある鶴ヶ城を訪れれば、会津戦争で最後まで戦った勇ましくも悲しい魂を感じるし、東京駅を訪れれば、その立派な立ち姿と創建から現在までの数々の出会いと別れを感じる、といった風にだ。

私は、いわゆる有名観光地にあまり足を運ばないため、歴史巡りをする時は「一人旅」を好んでいる。
夜行バスで移動して、朝早くに刀傷や弾痕を見に行ったり、石碑と簡単な門があるだけの土方歳三終焉の地で1時間たたずんだり、歴史に興味がない人からすればなんたる修行かと笑われてしまいそうだが、私にとってはその瞬間こそ唯一、日々の騒音から逃れ「歴史の住人」となれる最高の時間なのだ。

煩わしい日常も、大学や職業も、旅の中では関係ない

「時代を越えたい」と思う理由はただ歴史が好きだからだけではなく、「歴史の住人」である時、日々のあれこれを忘れられることも大きな理由だ。
毎日の生活はそれなりに充実していて、楽しいことも辛いこともたくさんあるが、時々そんな日常から逸脱したくなる時がある。
誰も私のことを知らない、気にかけない場所で「歴史の住人」でいられる時間、私は責任の重い仕事のことも、断捨離をしたいがなかなか気の乗らないタンスの洋服のことも忘れることができる。

さらに、旅は私を「歴史の住人」にしてくれると共に、旅をしなければ結ばれなかったたくさんの出会いをくれる。
一人で歴史巡りをしていると地元の人が話しかけてくれることが多々ある。写真を撮り合うことはもちろん、ガイドブックに載っていないその地の逸話を教えてくれたり、特産品の果物をいただいたこともある。カメラを持って、ぼーっと歴史に思いを馳せながらたたずんでいると、観光客にスタッフと間違われたこともある。

旅で出会う人々は、私がどこの誰で、どこの大学を卒業していて、どんな職業に就いているかを知らない。互いに出会ったその瞬間だけの印象でコミュニケーションをとる、その関係が私には心地よい。

有名観光地ではないけれど、歴史が動いた痕跡が見られるかも

SNS映えを狙ったり、テレビで見た人気スポットに行くことももちろん楽しいが、歴史好きの端くれとしては、ぜひその地で何が起こって、今の姿に至っているのかも楽しんでほしい。有名スポットの陰に隠れた隣の路地に、歴史が動いた痕跡を見ることができるかもしれない。

「歴史の住人」となれ、とまでは言わないが、「時代を越える」体験をして日々の騒音から少し遠ざかる楽しみが「旅」にはあることもぜひ知っていただきたい。私はそのために旅を必要とする人間だ。