旅をする理由ってなんじゃろ?
どこにも行かなくても、なんでも手に入って、なんでも見ることができる現代で、どうして自分は時間とお金をかけてどこかに行こうとするのか。電車で、バスで、時には徒歩で、できるだけ遠くの知らない場所に行ってまで、私は何を得たいのか。
疲れる日々、目に入った新庄行きの電車。あれに乗れば、遠くに行ける
バイト三昧だった2021年10月、久しぶりに駅前で友達と食事をした帰り道で、駅に停車していた電車が目に入った。
行き先は、山形県の新庄駅。この駅からだと、約1時間くらいかかるところだ。
朝起きて出勤して、帰ってくると疲れて寝てしまう日々の連続で、もー飽きた疲れた勘弁して!と思っていた私は、その電車から目が離せなかった。
あれに乗れば、遠くに行ける……。新庄に何があるかは知らないけれど、この際そんなのはどうでもいいから、遠くに行きたい、散らかりきった自分の部屋には帰りたくない!と、咄嗟にお財布を確認すると、所持金は300円と少し。む、無念。
アナウンスと発車ベルが鳴って、ゆっくり走り出した電車をじっとり睨み付けながら、明日必ずあれに乗って遠くにいってやる、と決意した。
翌朝、高校生ぶりに6時に起床し、ふらふらしながら駅に向かった。朝の街は、中学生や高校生がたくさん歩いていて、なんだか新鮮だった。
昨晩見送った電車に乗り込んで1時間しっかり爆睡し、新庄駅で慌てて起きて、陸羽西線に乗り換える。今日の目的は、昨日寝る直前に決めた「最上川の舟下りに参加すること」。
私は川が大好きだ。人とうまく話せなくて、川べりに座り込んで呆然とお昼ごはんを食べたこともあるし、友達ができてすぐ、一緒に川沿いを散歩したこともある。嬉しいときも悲しいときも、川に行くと心が穏やかになった。
「母なる川」に畏怖を感じながらも、しっかりダブルピース
最上川は、山形県米沢市と福島県の境にある吾妻山のあたりからはじまり、約400の支流を集めて酒田市から日本海に注ぐ。遠い昔から、山形の人々のくらしに欠かせない水源であり、物流や交通にも利用されていた「母なる川」なのだそうだ。
乗船する古口港で、はじめてその流れを間近に見た。深緑色のゆったりとした流れと、川幅の広さに圧倒されて、正直ちょっと怖かった。「畏怖」というのはこういう事か、と実感する。そして、1人で来たことを後悔する。
腹を決めて乗り込むときに、スタッフの方が1組ずつ記念撮影をしてくれていたので、私もしっかりダブルピースで撮っていただいた。
いざ乗船すると水面が思ったより近くて、再びビビる。こ、こわ~。
しかし、担当の船頭さんがとても面白い方で、出発の時点でだいぶ笑わせてもらって、怖さが半減した。舟は、思ったよりもゆっくりと進む。
船頭さんの説明を聞きながら、川岸の木々が紅葉し始めている様子や、流れが岩にぶつかって波が立つのを眺めていると、身体の中のわるいものが少しずつ消えていくような気がした。そして、今まで川を見ると不思議と心がおだやかになったけれど、それがなぜだったのか、ここで気が付いた。嬉しかったのだ。
昔からある自然の巡りを、今自分の目で見つめて、身体で感じている
この川は、誰も見ていなくても、こうしてずっと流れ続けている。あの木々も、人間がいなくなったとしても、きっと同じサイクルで紅葉し、葉を落とし、春にはまた葉を茂らせる。
遠い昔から変わらない自然の風景の一瞬を、今こうして自分の目で見つめて、身体で感じていることが、本当に嬉しかった。
地球の長い長い歴史の中で、私が生きてきた21年というのはほんの一瞬、かすり傷くらいの時間だけど、でも確かに、私は地球の景色を見て、感じて、生きているのだ。みんな、生きているのだ。人のちからで作られたものではない自然の風景を見ると、そんな風に思えた。
そして、この文章を書いている今この瞬間にも、川は流れ続けているということ、自然は少しずつ変化しているということに、安心する。自然の巡りと一緒に、私の血液も巡って、身体を温めてくれているような気がする。私が旅に出るのは、身体の巡りを思い出すためなのかも知れない。
約50分の舟下りを終えて舟を下りると、乗船するときに記念撮影していただいた写真が販売されていた。みんな素通りしていくなか、ちらりと並んだ写真を見ると、めちゃくちゃ良い笑顔でダブルピースしている私がいた。
恥ずかしい!もうちょっと端っこのほうに貼っておいてよ!でもいい顔なので両親にあげよう、と購入して、駅までのバスに乗る。
バスの窓から最上川を眺めると、やっぱりゆったりと流れ続けていた。またいつか、必ず来たいな、と思う。1日だけの小旅行だったけれど、心がぷくっと回復した良い旅だった。
参考資料:最上川|山形県