2022年の私の宣言は「すみれ組さんになる」だ。

どういうことかというと、すみれ組さんとは、私が通っていた幼稚園の年長組のクラスの名前だ。なので「すみれ組さんになる」宣言の意味は、「5歳児にもどるぞ!!」ということ。

子供のようにわがまま放題に暴れまわるつもりではない。私は5歳のときのように、純粋な好奇心と感受性をもった1年にしたくて、「すみれ組さんになる」宣言をする。

1つの世界に人口は60億人以上いて。それだけ違う価値観がある

5歳児のように、純粋に、感受性を強く持ちたい。

「自分の感受性くらい」という大好きな詩がある。「自分の感受性ぐらい 自分で守ればかものよ」で締めくくられるこの詩は、私の大切な教訓でもある。

この世を楽しく健やかに渡っていくには、感受性をどれだけ持てるかが鍵となると思う。人は60億人いるけれど、世界は1つだ。同じ世界でも人によって見え方が違うのは、人によって世界の捉え方が違うからだろう。

だから、私は感受性を強く持って、世界の見せるさまざまな姿に感動したり、楽しんだり、時には悲しんだりしたい。

5歳児のように、やりたいことにひたむきでいたい。

私は自由奔放な5歳児だったので、まわりの目を気にせず、好きなことをやる子供だった。そして5歳のころに「私なんて」という感情もなかった。できないことがあっても、やりたいことを諦める理由にはならなかった。

やりたいことにひたむきだった5歳児。今は、周りの目が気になって…

今はどうかというと、まわりの目が気になってしょうがない。たとえば、行きたい喫茶店に一人ではなかなか足を踏み入れられないこと。絶景を自分の目で見るより、カメラにどう写すかのほうが気になること。

もし、世界に1人だけだったら、絶対やらないだろう。

自分の人生に最後まで寄り添ってくれるのは、自分だけだ。その自分が満たされるような「やりたいこと」に、私はひたむきでいたい。

5歳児のように、創造性ゆたかでいたい。

子供の頃、トイレットペーパーの芯さえあれば何でも作れたし、どこだって秘密基地になった。止められるくらい、絵を書き続けた。きっと誰しも経験があると思う。「いいこと思いついた!」と、日に何回も声を上げた。

反対に、大人になると「絵を描いて」と言われても、腕前を理由にできないと断ったりする。上手い下手ではなく、好きでやっていた頃を思い出してみたい。

30歳になる社会人の私は、心の5歳児の存在を否定せずに生きていく

子供の頃、色を使うのが好きだった。絵の具や色鉛筆はグラデーションに並べないと気がすまなかった。大人になってまったく使わなくなってしまったけれど、色鉛筆をひっぱりだしてぬり絵をしてみたい。

パソコン仕事や家事の間を取り持つように、創造的な趣味が疲れを癒やしてくれると思うのだ。

しかし、本当の私は5歳児ではなく、今年30歳になる社会人だ。5歳児になりきることを仕事や状況が許さないこともあるだろう。仕方ないことだし、30歳としての社会の役割はきちんとやりたい。

ただ、思い通りに行かなくてだだをこねる5歳児の自分を、もう独りにはしないぞと思う。「もっと冷静にならないと」と5歳児の存在を否定したりしないし、だだをこねたことも嫌悪しないでいたい。

そんなわけで、私は2022年、すみれ組さんだった5歳児に戻ろうと思っている。