「いい出会い」とは一体なんだろう。2022年になって考えてみる

毎年新しい年を迎えるとき、私は目標を定めている。去年の2021年の目標はいい出会いができるように積極的に挑戦することだった。2021年はどんな年だったかな。
自分のいる環境を少しずつ、だけど着実に大きく変えて、その度に新しい場所への不安だったり周りの人との接し方を考えたり試行錯誤、一喜一憂、たくさんぐるぐる考えた。

よく中学生や高校生は多感な時期だと言うけれど、20歳となった今、私はまだまだ多感であると感じる。考えなくていいことまで考えた結果、必要以上に落ち込んだ時もあったし、一方で数々のトライ&エラーの結果、努力が実ったこともあった。激動の1年の中で新たな出会いがあったのだ。

生きることは支え合うこと。
人は生きるためには、人と関わり合わないといけない。自分の周り環境を変えるというのなら、必然的に関わり合う人をも変えるということだ。2021年の目標はいい出会いをすることだった。
それが達成したのかどうか、判断する上で2022年になった今考えることは、
「いい出会いとは一体なんだろう」
ということだ。

2021年は全力で人と共に歩もうとした1年。人と関わることの大切さ

外に出て活動すれば出会いというものは絶対にある。それを良いものにするか、そうじゃないものにするかは、自分の行動と捉え方にかかっているのではないかと思う。
私は良い人間関係を築くことができたらそれをいい出会いと呼ぶ。関係がギクシャクしてしまったり調和が乱れてしまったりするなら、気まずいということでいい関係が築けなかったことになると思う。

そう考えたら2021年の私は、全力で人と共に歩もうとしてきた1年だった。
遅れてキャンパスライフが始まったとき、初対面があまり得意でなくても友達を作るためにフレンドリーに話しかけてみたり、元々信頼が厚い遠く離れた地に暮らす高校時代の友人とは時に悩みを相談し合ったりした。
一人暮らしをしてからというもの、自分の時間が増え、同時に人と関わることが精神的にとても大切なことであると実感した。

20歳となった私は内面を磨き、そして周りの人を愛したい

私の周りには素敵な人柄の人たちがいる。それは私が無意識の内に関わる人を選んでいるからかも知れない。
高校時代、できれば誰にも嫌われたくないし、好きになってもらいたいと切実に思っていた。その気持ちは根本的に今でも変わらないけど、この世界は広く、私が思っている以上に人が多いのだ。好かれたいという気持ちの根本は変わらないけど、全員から好かれることは不可能であることが分かった。
私自身、全員を愛することが不可能であることに気がついたからだ。
2022年になった。
同時に20歳となった私の目標は、内面を磨き素敵な女性になることだ。その中には人を愛することが含まれている。

2021年で掴んだたくさんの出会いを、2022年では大切にしたい。周りの人に支えられるばかりじゃなく支えるように努力したい。人を好きになることは簡単じゃないから、その人のいいところを見つける絶え間ない努力が必要なのだと思う。私を愛してくれる家族や親友、これからもっと仲良くなれるであろう人たち、今ある環境に感謝して関係を大切にしていきたい。
それを20歳で未だ多感な時期にいる私の2022年の新たな目標に定めようと思う。