「尊敬し合って憎み合って報われない両想い」
読後、あまりに強い感情の揺さぶりと文章全てに寄り添われる感覚が同時に来たことに衝撃を受け、呼吸の仕方を忘れたかのような胸を撫でながら、ネットに上がっていたレビューを見ている時に拾った言葉。今度は瞬きの仕方を忘れた。
これか、そうか……私はこの本とレビューに出会うために、3か月苦しんでたんだ。
その日を境に、ずっと重かった肩の力が抜けた。その日の夜は泥のように眠った気がする。
この本は、私とあの子の物語。そう思って手が震えた
本の名は『蝶々の纏足』。山田詠美さんの本だ。主人公の瞳美と、瞳美の心を束縛し自由を許さない美しき親友のえり子が出てくる。えり子の支配から逃れるため、瞳美は麦生を愛し、彼の肉体を知ることで、えり子との関係にも少女期からも羽ばたこうとする短編だ。本を持つ手が震えてしまうほどに、あの子と私を見ているかのようだった。
ひとりの友人とドラマのように絶縁した私はこの本に救われ、心の余裕を取り戻し、心が色鮮やかに変化した。
本との出会いは簡単で、ゼミのおじいちゃん先生にお薦めされたから。私があの子の事で相談をしに行ったときに、二度と関わらないで縁を切った方が良いと先生から少し残酷なアドバイスと共にお薦めされた。
どうして仲が良かったのか不思議なくらい、正反対の私たち
そもそもなんであの子と縁を切ることになったかは、たぶん相性が世界一くらい悪かったから。価値観も違えば、性格も真逆、なんであんなに仲良くできたのか不思議に思うくらい。私の周りの友人達にもなんで仲良くしてるの?とよく聞かれた。
私の主観でも、こんなにネガティブでその上、自己防衛のために私を傷つけてくるような冷たい発言をする人間を、それでも好きだと思ってしまうのかわからなかった。
わからなかったと言うとちょっと嘘になる。正直言うと私の性格が、ないものねだりだから、あの子にハマってしまった。
私を支えてくれる他の友人達にないもの、それはきつい物言いやストレートな言葉だった。そりゃない方がいいんだけど。あの子に関しては、そこにストレートな愛の言葉がたまに来るから沼に落ちた。夢中になってしまった。
傷つけられても理解できなくても「好き」の一言に舞い上がった
そんな甘さがあっても目を瞑るのに限界だったのが、生きてくスタンスの違い。向上心を常に持って、やりたいことをやろうとして生きてる私は、真逆なあの子がどうしても尊敬できなかった。だから友達だと思えなくて、そこが本当に苦しかった。
私は友達のことは尊敬したい考えの人間だ。そんな私の考えも知った上で、あの子は自分が頑張ることが嫌いな人間であることも、私に劣等感を抱いていることも胸を張って言ってた。私はそこに理解ができなかった。
でも落ち着いた今思うのは、そのままのあの子を認めることができていれば、今でも友達として仲良くやれていたのかもしれないということ。
だがそれは今の私でもたぶん無理だ。友達だとは思えない。ここで述べたスタンスの違いに関してあの子と直接話したときには「なんで仲良くしてるんだろうね〜」で終わり。それでも電話越しで好きって言ってくれれば、それがどういう意味の好きかは置いといて、幸せだった。
あの子との別れが「良い経験」になったのは、この本のおかげ
私は結局、自分のことを「可愛い」や「好き」と言われたら尻尾を振ってしまうのだ。
いつも何かを成し遂げて褒められる私からすると、あの子からは私が存在してるだけで愛されるような心地がして幸せだった。たぶん母親にもっともらうはずだった無償の愛をもらっていたんだと思う。
急激に仲良くなった一年半くらいの間で、私はあの子を何回も怒らせたし、2回くらいは絶縁されそうになった上の今回だったので、あの子から突然連絡が来なくなった時に少し察した。当時はどうにかもう一度と手を伸ばしたが、今落ち着いて考えると別々の世界を選んで本当に良かった。一緒にいたらきっとお互いが幸せになれない相手だと思った。
終わりの頃にずっと考えていた恋愛的に好きかどうか問題も、もうわからないままで良いと思った。そこは来世に期待くらいで。
私にとっては全部良い経験で、心の傷じゃなくて眩しい宝石。そう思わせてくれたのも、こうやって振り返るエッセイを描けたのも、考え方や物事の捉え方含め自分のスタンスを改めて見つめることができたのも全部この本のおかげだ。3か月苦しんだ私だからこそ沁みたとも言える。瞳美とえり子のように蝶々たちは次の場所へ、形としては羽ばたいたんだから。きっと大丈夫。