ひとりで食べるごはんは美味しい。
勿論誰かと一緒に食べるごはんも、それはそれで美味しい。ただ、誰にも何も気にせず食べるごはんほど、私の中では美味しさを噛み締められるひと時である。

1人で食べるごはんに慣れていた私。上京して初めて牛丼屋さんへ

小さな頃から母親は兼業主婦をしていたので、家族一緒にごはんを食べる時は休日だけが多かった。

休日、家族揃って買い物へ行ってあれ食べよう、これ食べようと決める。大体焼肉だったんだけれども。
平日は家族が揃っていても仕事や学校の関係で揃ってごはんを食べるという訳でもなく。
誰かがごはんを食べれば、誰かがお風呂に入る。
入れ替わり立ちかわりだったし、それはそれで仕方のないことだったので慣れてしまった。

一人暮らしをはじめるとより1人で食べる機会が増え、行ってみたい!を叶える為に牛丼屋へ入る。
渋谷の書店で働いていたので、その周辺で食べたことのないものを!となるとまずは牛丼屋さんだった。
牛丼屋は地元にはない。数年前に隣町に出来たくらいだ。それくらい『田舎にはなくて物珍しい店』だった。

黙々と食べてご馳走様と言って帰る。干渉されない時間の心地よさ

店内にいたのは男性ばかり。女性と思しき方はいない。
皆こちらのことなど気にせずに牛丼を食べている。
食券を買う、分からないから並の牛丼を頼んでみる。あんまり男性のいないところに座る。でもどうしたらいいか分からないから、少し男性のいる辺りに座る。
いつ来るんだろう?と思ったらすぐ来た、早い。
隣の人が紅しょうがを沢山乗せている。美味しいんだろうと真似して食べると、これは美味しい。

特に喋る訳でもなく、黙々と誰のことも気にせず食べて、ご馳走様と空に言って帰るシンプルでいて干渉されない部分が私にとっては居心地がよかった。
私も牛丼を食べきり、「ご馳走様」と店員さんに向けて言って外へ出た。

それこそ大人になるにつれて上司であったり、会社でのランチや外食の機会が増えた。
食べていると、知っている間柄とはいえすごく緊張する。
他者から見られていること。というのは中学生の音楽の授業で『恥ずかしい』と感じた時から芽生えて、どうやらここまで恥ずかしさで胸がいっぱいになるとは思っていなかった。
味がどうこう、というより早く食べ終わってこの居心地の悪さから逃げたかった。

誰も気にすることなんてない。自分の幸せのために外食へ行く

私にとって一緒にごはんを食べることは、心を許した行為だと思っている。

30歳を超えた瞬間から食べられる量が減ってきている。多分これからはもっと食べられるものも量も減っていって、「あの時食べればよかった」って思う回数がだんだんと増えていくのだろう。

ハンバーガーチェーン、ファミレス、ラーメン屋、カフェ、回転寿司、バイキング、焼肉屋、居酒屋、定食屋……10年近くもあればほぼ一通り1人で食べる、ということは回った気がしているけれど、ステーキハウスにはまだ1人で行ったことがない。そろそろ行かないと「あの時食べればよかった」の中に入ると思っている。これを書いていても胃の感覚としては危なそうだ。

何にも誰も気にすることなんてない、食に向かい集中する為に私としての幸福を得る為に行こうではないか。