大学を卒業し、社会人になり早6年経つ。コロナ禍になり、果たしてこのままで良いのかと考えることもしばしば。
ただお金に対しての考えも変わってきている。

1円玉も立派なお金。母の言葉をきっかけに、お金の考えが変わった

現在は実家暮らし。彼氏も社会人になってからいない。友達も片手で収まる程度。平日は自宅と職場の往復。休日は月に4回ほど安い均一居酒屋に、時折ある女子会で飲みに行く。
これだけで見ると、人からみるとおもしろみもない女である。
ただ貯金はある。
なぜここまで貯まったのか、それは、お金は1円でも大切にと親から言われたこと、そして元々自分自身にお金をかけるという行為が好きではなかったからかもしれない。

小学校に入る前の頃、自分の貯金箱から出した1円玉を母親に「1円玉は安いお金だからいらないからあげる」と言ったことがある。すると母親はすごい剣幕で、
「1円玉も立派なお金だ!集まれば10円にもなれるそんなお金だ。この1円玉をいらないってことは100円玉や500円玉も同じ扱いをするってことだ」
と怒られたことがある。
それ以降自分自身、どのお金も平等であるという考えを植えつけられ、少しのお金を大切にするようになった訳である。

「〇〇のクセに化粧?」の言葉に振り回され、美容にお金をかけない

そして自分自身にお金をかけないというのは自己肯定感の低さに由来する。
中学、高校の頃、誰か話しかけてくれるだろうと他力本願で何もせず、またどんな会話をすればいいのか考えもせず過ごしたため、仲の良いと言われる人は出来なかった。私という人物は特に何をしても一緒だなと思うようになった。
ただ運動系の部活には入っていたので、そこではなんとか取り繕うことが出来た。運動部ということもあり、馴染もうとガサツな感じや弄られる性格も相まって、恋愛をしてかわいくしていこうなんて風にも見られていなかった。

大学に入り化粧をすると、高校時代の部活の友達に時折意外だねと笑われる。「○○のクセに化粧してんの(笑)」なんて言ってくる子もいた。
今思えば全員言ってくる訳でもないのにその言葉に振り回されて、何してもこれもまた一緒だなと思ってしまった。

だからコロナ前からも美容に関してはほとんどお金をかけない。医療系の仕事のためマスクは必須。転職もしたのだが前職は給食のおばちゃんであったため、顔はおろか髪でさえも帽子で隠れてしまう。
別に自分なんか見てないし、とりあえず出勤出来たら良い。最低限の目ヤニがついていなければ問題ないと思っていた。
服は好きだけど職場には規定の制服もあるし、ハイブランドの服や小物を身につけたいなんてこともない。とりあえず大事なところでも隠れていれば良いと思うほどで、見た目が綺麗に見えれば良いと思っている。

コロナ禍で感じた、お金は「必要なものを選べるモノ」だということ

食べることは好きだけど、いざ一人でと思うと安いけど自分で料理も出来るので作れるかも!や、わざわざ一人ででも食べたいものなのか?などと言い訳を作って食べに行けなかった。その割に美味しくもない店での合コンは、誘われたら行っていた。異性問わず好きな人と行くこともあるが、好きでもない人と行くこともしばしばあった。
ただ自分という人物が社会の、人間関係の歯車に馴染めるようにと必死だったのかもしれない。

コロナ禍になり、人と会う機会も減り行動範囲が狭くなり、このまま一人なのではと精神状態が不安定なこともあったが、自分は自分と思えることも出てきた。

会わない理由なども考えたこともなかった。とにかく歯車に馴染めるように何か意味があるのではと無条件に行った意味のない飲み会の数々。お金をドブに捨てていたなと今ならハッキリ言える。
ただ美容関係も人に綺麗に見られれば良いので、今もまだ取り繕う気もなれないが、好きな人と会うときは綺麗にする。

何が自分に必要で不必要なのか。お金はその必要なものを選べるモノだと、コロナ禍なり学べた気がする。そのために貯金を有意義に使おうと思う。