「放課後、話があるから図書室まで来てね」

その日最後の、英語のクラスの準備をしている時だった。
教科書を鞄から取り出して机に並べる私の目の前まで来て、友だちは微笑み、「私たちで話し合いたいことがあるの」と、周りを取り囲む3、4人の仲間と目配せし合った。
学校という箱に閉じ込められた女子は、やがて、独自の美学を共有し合う箱の中の箱を作る。それは時として、内部に油分の濃い洋菓子がぎっしり詰められているかのように、箱を覗く者の喉や胸を重たく締め付ける。
恐怖のスポンジ材に、身をぎゅっと抑え込まれているかのような独特の恐怖感が、そこにはあった。ままごとの延長線のようでいて、リアルに陰湿な女子の世界だ。

麻薬のように甘い砂糖とバターの混じった甘い香りは、ただ私を頷かせた。

絶望をウィー・アー・ザ・ワールドのメロディーに乗せ、口ずさむ

英語の授業中、「ウィー・アー・ザ・ワールド」を習った。どういった文脈で学習要項に出てきていたのかはすっかり忘れてしまったが、教科書の片隅に、民族衣装を着た数人のイラストが描かれ、地球の回りをぐるりと手を繋いで囲み、笑っている図があった。

得体のしれない恐怖に心を縛られ、呼気すらも震えていた当時の私に、その、ウィー・アー・ザ・ワールドは決意を与えた。
アフリカの飢饉を救うべく結集した歌声も魅力的ではあったが、本質的に、より強く私を励ましたのは教科書の片隅で踊る民族衣装の人形たちだった。誰にも頼ることのできない静かな絶望を、私は、ウィー・アー・ザ・ワールドのメロディーに乗せ、人形たちと一緒になって口ずさんだ。

数ミリ、いや、もっと細かい単位でゆっくり時計回りに回りながら、人形たちは、励ましを外界に向けて歌った。目には見えない動きだったけれど、その歌と周回こそが彼らの仕事であり、役割だった。にっこり笑って、世界平和と世の安寧を説く。世界の政治はそう思うように回りはしないが、それでも、その創造図を夢想することには一定の価値があるだろう。

私は私の役割を果たすまで。仲間はずれにされる役割を負うのだと決意

私は、その時決意した。
私は私の役割を果たすまでだと。とあるストーリーの中で、仲間はずれにされる役割を負うのだと。これがいつか、彼女たちの、そして私の、思い出となり歴史になれば、きっとストーリーの本当の意味を理解できるようになるはずだ。

放課後、図書室の壁にかかった重たい時計がこと、こと、と時間を刻み、そのリズムに従い、私の脳裏に取り憑いた人形たちは変わらずに輪を組んで踊っていた。
こと、こと、こと。私は軽く首でリズムをとりながら度々頷き、グループからの三行半を受け入れた。少女たちの菓子箱は、やがてひとりの少女を除け者にすることで結論を得たのだった。

私もにっこり笑顔で、こと、こと、舞った。そう、あの人形たちのように。

振り返れば小さなよくある話だが、私の思考回路の片隅では、今でもあの時の民族衣装を着た人形たちがウィー・アー・ザ・ワールドを歌い続けている。囁くように、時に、目の前で優雅に回転しながら。

いつか、分かる。具体的な励ましはなくても確かな決意を与えてくれた

10年ほどが経った今も、真実のストーリーは未だに掴みきれず、あの時の映像だけがほろ苦く心に焦げついている。

いつか、分かる。

私の中に流れるウィー・アー・ザ・ワールドは決して具体的な励ましは与えてくれないが、今でも確かな決意を与えてくれている。

あの時の何が悪かったのか逡巡するとか、原因や結果を熟考するとか、そんな面倒で物騒な手順は要らない。ただ、事実をありのままに受け入れさえすれば、後は時間が解決してくれる。だから決して、深い闇に問題を持ち込むことだけは避けていよう。
あの時のあの私に、瑣末な決意に、私は今も、助けられている。