「今、終活をしているんですよ」
先生がそう言った時のクラスのどよめきを、今もふと思い出す時がある。
いつも穏やかな先生に受け取ってほしい本があると言われ…
高校一年生の頃、私は数学が大の苦手で、成績がひどすぎるばかりに私のクラスの担当ではない数学教師からも顔と名前を覚えられているくらいだった。
だから職員室に行って個人的にわからないところを教えてもらうことが多く、今思えばかなり迷惑な生徒だっただろう。
それでも先生方は優しく、特にクラスの数A担当の先生はいつも柔和な笑顔で私を出迎えてくれた。彼は生徒相手にも敬語を崩さない、とにかく穏やかな先生だった。
「みんなわからないことがあると塾に聞きに行ってしまうから、こうして僕に聞きに来てくれるのが嬉しいんですよ」
そう言って、私の罪悪感を和らげてくれたことをよく覚えている。
いつも通りに質問をしに行ったある日、その先生が突然好きな科目を尋ねてきた。中学生の時から漠然と古典が好きだったのでそう答えると、「是非受け取ってほしい本がある」と言われた。
「僕ももう若くないから、今から終活をしてるんですよ。特に本がたくさんあるからいろんな人に譲ってるところなんです。古典にまつわる本も持ってたはずだから、今度持って来ましょう」
譲ってくれた本に抱いた興味は、文学部への進学を決意させた
穏やかな先生の口から「終活」という悲しい言葉が出てきたことにも、本の譲り先に私を選んでくれたことにもびっくりした。「本当にいいんですか」と念押しすると、「興味がある人のところに行ったほうが本も幸せでしょう」と微笑んで、ちょうど一週間後の放課後にその本を持って来ると約束してくれた。
嬉しいような困惑するような、不思議な気持ちだった。
一週間後、職員室を訪ねた私に先生が手渡してくれたのは、『日本語の古典』(著・山口仲美)という本だった。家に帰って早速それを読んだら、これがわかりやすくて面白い。作品ごとに数ページずつ解説されているから読みやすくて、大した知識のない高校一年生の私でもすらすら読むことができたし、その内容が興味深かった。
例えば、かぐや姫の優美なイメージがある『竹取物語』では、「青反吐」などの粗野な言葉がよく使われていることや、かぐや姫が求婚者の失敗を聞いて大笑いしたり喜んだりしていることなどが書かれていて、授業で一部を習っただけで知っていたつもりになっていた私には衝撃的だった。
知っていたつもりだった作品のこと、もっと知りたい!そう思い、私は大学に進学して文学部で勉強することを目標に決めた。
先生が言った「終活」の一言。私のカバンの中にはあの本が
それからしばらく経った頃、数Aの授業中、時間が余ったからか先生がふと「今、終活をしているんですよ」と言い出した。クラスがどよめく。
「いろんな人に本を譲っているところだから、もし欲しい本がある人がいたら声をかけてください」
チャイムが鳴って先生が教室を出て行った後、クラスメイトはみんな何とも言えない曖昧な笑い方をして、「終活ってマジ?」「まだ定年にもなってないのに?」「どんなリアクションすればいいのかわかんなかったわ」などと口々に話していた。
みんな、私が机に掛けているこのカバンの中に、先生から貰った本が入ってるなんて思いもしないんだろうな。
妙な空気の中、私はほんの少しの優越感を胸に抱いていた。
その翌年、先生は定年退職した。その後どうしているのかはまったくわからない。
私は先生がいなくなってからそのことに気づき、お礼を言う機会を完全に逃してしまったことを悔いた。よく考えたら私は先生の年齢すら知らなかったな、と思うと、あの時に優越感を覚えた自分がちょっと恥ずかしくなった。
もし出会っていなかったら?一冊の本が私の背中を押してくれた
それから二年間、周囲からは「文学部は就職が難しいけど大丈夫?」だとか「文系なら経済系のほうが……」だとか色々言われたけれど、ひたすら勉強して受験に臨んだ。自分でも不思議なくらいに情熱が続いて、何かの縁に導かれるように第一志望の大学の文学部に入学することになった。
先生にお礼を言えなかったことだけが残念だったけれど、大学では教科書には載っていなかった内容まで勉強できて、充実した四年間を送ることができた。確かに就活は大変だったけど……。
高校卒業後、いつも傍らに『日本語の古典』を置いていた日々は一旦終わりを迎えたが、それでもずっと本棚にこの本があって、たまに取り出してパラパラと読むことがあった。
もしあの先生に出会っていなかったら、もしこの本に出会っていなかったら、私はどんな人生を歩んでいたんだろう。
社会人四年目の今でも、たまにすっかり古くなった本を開いてはそんなことを考えている。