「話したいことがあります。私に時間をくれませんか」
2度目の大学受験を終えた日、帰りの新幹線の中で涙がこぼれそうな自分に気づいた。一粒の涙が頬を伝ったとき、震える手に戸惑いながら、予備校で世界史を教えてくれた津田先生にメールを打った。無意識のうちに誰かに助けを求めていた。

1週間後、私は4年ぶりに自分の本心を話した。いつも私の話をまっすぐに聞いてくれた津田先生に、誰にも打ち明けられなかった過去と今の気持ちをはき出した。

兄の死をきっかけに、強くなるために心身を鍛え、東大を目指した

中学までの私は甘えん坊だった。小心者のため、親や友人に頼ってばかりだった。しかし、高校に入学して、変わった。
きっかけは兄の死だった。私が高校に入学した次の日、高校でのいじめに苦しんだ兄は自殺した。各駅停車しか止まらない駅で、快速電車が通過するタイミングで線路に飛び出した。
絶望する間もなく、1ヶ月後には母親が適応障害に、さらにその1ヶ月後には父が仕事中に緊急搬送された。診断結果はうつだった。両親は兄を守れなかったことを悔やみ、苦しみ、心の病に倒れたのだった。
残る家族は中学に入学したばかりの頼りない弟だけ。その瞬間、一つの決心をした。
「私が強くなる。家族を守るんだ」

決心してからの行動力はすごかった。精神・肉体ともに強くなるために、やったこともない剣道を始めた。日本一の大学に入学したら、高収入の会社に入って家族を養えると思い、東大を目指した。
あまりにも単純すぎる思考だったが、高校3年間、決心は揺らがなかった。一度目の受験に失敗し浪人生になってからも、東大に入って家族を守るという思いは変わらなかった。

東大をめざしてきたが、学びたいことがある大学を見つけてしまった

気持ちの変化が訪れたのは、浪人して半年、11月頃の受験校を決定しないといけない時期だった。
もちろん第1志望は東大。しかし、さすがに2浪はできないと分かっていた私は初めて東大以外の大学を調べた。そんなとき、ある私立大学のHPで一つの専攻に出会った。
「この専攻、すごく面白そう」
気持ちが動いた。初めて自分がやりたいことを見つけた。東大を選んだのは、家族を守るためであって、東大に行ってやりたいことは特になかった。
次第に、東大よりもその私立大学に行きたい気持ちが増していくようになった。私が学びたいことを学びたいという欲が出るようになった。

その一方で、疑問に思うようになった。誰のために頑張れば良いのだろう。家族を守りたいという気持ちは変わらなかったが、自分のために頑張るという選択肢を見つけてしまった。
自分のために生きたら、家族を捨てることになるのか。分からなくなった。

親だけでなく、高校や予備校の先生、友人からも期待されていた。興味のある私立大学の偏差値は東大より10下がり、現役時でも余裕で受かることのできる大学だった。

「応援してくれている人たちの気持ちを裏切って、自分のために頑張っても良いのだろうか」

気持ちの整理がつかないまま、受験当日を迎えた。出来はそこそこだった。全力は尽くした。しかし、心の中で「本当にここに行きたいの?」という疑問が消えずにいた。
4年にわたる受験生活の最後をあやふやな気持ちで終えた。期待してくれていた人たちの気持ちも自分の気持ちも無駄にしてしまったと思った瞬間、帰りの新幹線の中で涙を流した。

「頑張らなくていい」。色んな期待を背負った私が一番求めていた言葉

1時間くらいかけてゆっくりと津田先生に悩みを打ち明けた。先生は、私の話をいつものようにまっすぐな目で、真剣に聞いてくれた。話を終えると、また知らないうちに涙が静かに流れていた。
鼻をすする私にむかって先生は言った。
「あなたはほんまに強い子やね。よく頑張ったね。話してくれてありがとう」
いつもより優しい口調だった。
「でもね」
先生は私を抱き寄せた。
「もう頑張らなくてええよ。十分頑張ったんやから。これからは、あなたが生きたいように生きれば良いの」
全身の力が抜けた。人目をはばからず、小さな子供のようにわんわん泣いた。
『頑張らなくて良い』
いつの間にか色んな期待を背負っていた私が、一番求めていた言葉だった。

先生に話をした1週間後、2度目の東大受験に失敗したと分かった。あと2点足りなかった。しかし、現役のときみたいに涙は出なかった。むしろ、自分の中ではっきりと答えが出た。
自分のやりたいことをやる。家族を守るという決心は変わらないが、私らしく生きることも大事にしたい。
とても前向きな気持ちで新生活の準備を始めた。