頼ってもいい人を探している。
泣いても許してくれる人を、ずっと探している。

涙もろい私だけど、本当に悔しいときの涙は、決して人には見せない

とある田舎の、地方都市と呼べるほど大きくないけれど、それなりに暮らしやすいほどほどの町ーーそんな居心地の良い場所で、3人きょうだいの長女として、私は大切に育てられた。
年の近い妹とはしょっちゅう喧嘩をした。「お姉ちゃんなんだから、ちょっとは我慢しなさい!」と叱られ、悔しくて子供部屋でひとり泣いたことも、何度もあったと思う。

そもそも私は、信じられないくらい涙もろい。感動的な映画は予告編を見ただけで涙が出てしまうし、卒業式で感極まって泣きだすのも、大抵私が一番最初。
それでも、三つ子の魂百までとはよく言ったもので、本当に悔しくてつらいときの涙は、決して人には見せられない。それは「お姉ちゃん」としてのプライドなのか、それとも単なる負けず嫌いなのか。
テストの点が思ったより低かったとき、好きな人が別の子と付き合い始めたとき、ピアノのコンクールで予選を通過できなかったときーーそんなとき、私はいつも自室に篭り、膝を抱えて泣いた。嗚咽が響くのが嫌で嫌で、噛み締めたタオルに血がにじんでいたこともあった。
そんな負けず嫌いが自分の弱さを認めて、大声をあげて人前で泣いたことが、一度だけある。

10年以上私にピアノを教えてくれた先生と、学生最後のレッスン

2020年3月、とある音楽大学のレッスン室。
その日、私は10年以上もお世話になったピアノの先生に、学生最後のレッスンをお願いしていた。
先生とは中学3年の夏に出会った。音楽高校に進むか普通の高校に進むか悩む私に、先生は音楽で生きることの厳しさを説き、私に音楽で生きる覚悟がまだないことをわかったうえで、「それでもピアノは続けてください」と言ってくれた。
その後、普通科に進んだけれどもやっぱりピアノが好きで、もっと上手くなりたいから教えてくれと言う私に、先生は10年もの間、快くレッスンを続けてくれた。音楽研究をしたいと先生の大学院に進学した時には、ピアノ科の学生ではない私を大喜びで、門下の集まりに呼んでくださった。

言葉にはできないほど強くあこがれ、そして恐れたこともあった。
それと同時に、私がピアノを弾き続けることを疑わない優しさに、いつも救われていた。
そんな先生に、レッスンと称してどうしても聴いてほしい曲があった。

うまく動かない指に苦笑し、挨拶しようとした時に溢れた涙

いつも通り、ピアノの前に座って、少しおしゃべりする。
「お願いします」と挨拶をして、練習してきた曲を弾き始める。
緊張のせいか、うまく指が動かない。練習では弾けていたところが、どうにも上手く弾けない。
悔しい。もっと弾けるようになりたい。
社会人になったら、仕事に追われて今みたいにピアノの練習を毎日することはできない。先生とのレッスンもこれが最後かもしれないから、絶対に上手く弾きたかったのに。
悔しくて、かなしくて、でもこれがピアノだよねとなんだか清々しくて。
先生もそんな私のことなんてお見通しで、普段通りにレッスンは進んで、最後にはちょっとだけ納得のいく演奏ができた。

嬉しくて、でもやっぱり悔しくて、敵わないなぁと苦笑しながらありがとうございましたと言おうとした、その時ーー唇がわなないて、急に呼吸が苦しくなって、涙がぼろぼろと溢れてきて。
気が付けば私は、10年間抱え続けたコンプレックスを、ピアニストになりたかった、本当はピアノ科に入りたかったという、絶対に口には出さなかった想いを吐き出しながら、わんわんと子供のように泣きじゃくっていた。
先生はその全てをちょっと笑いながら、知っていたよとずっと聞いてくれた。「まぁね、あんたは泣くだろうなぁと思っていたよ」なんて言って、ボロボロの私にティッシュを渡しながら。

10年も一緒にいてくれた先生だからこそ、甘えることができた

それが、私の覚えている限り、人前でボロボロになるまで泣いた唯一の記憶。
10年も一緒にいてくれた先生だからこそ、これで最後かもしれないと思ったからこそ、弱さをさらけ出して、甘えることができたのだと思う。
もっとも、先生とは今でも大の仲良しで、オンライン飲みをしちゃったり、またレッスンをお願いしていたりするんだけども。

……あぁ、でも、大好きな先生は、泣きじゃくる私を抱きしめてはくれなかったなぁ。
だから、いつか先生みたいに、ボロボロの顔で泣いている私を許してくれる人に出会いたい。泣いている私を許して、抱きしめて、できれば一緒に泣いてくれるような人がいい。そして、その人が苦しい時には、私がその人を抱きしめて、一緒に泣きたい。そういう人がいい。

ねぇ先生、私きっと、そんな人に出会えますよね。