恋愛は年功序列ではない。
先に好きになったほうが、彼にバレンタインのチョコレートをあげる権利を得るわけでもなければ、彼にチョコレートを心待ちにされるわけでもないのだ。
中学生にとって学校は世界の全て。彼女持ちの男子にチョコは渡せない
中学生だった私の好きな人には、彼女がいた。クラスの中心にいる明るくて可愛い女の子だ。
恋愛は年功序列ではない、なんて何を大袈裟な。別に彼女がいたとしても、好きな人にチョコレートを渡すくらい万人に与えられている権利じゃないかと、今の私なら怒り狂って学生運動でも起こすだろう。
しかし、中学生にとって学校というコミュニティは、余りにも自分を取り巻く世界のすべてであり過ぎた。
彼女を持つ男子にチョコレートをあげるなんて、もはやそれは略奪行為であり、到底許されることではない。下手したらこの心に秘めた恋心さえも、謀反。
翌日から飛び交うであろう女子からの罵詈雑言と男子からの冷やかしの言葉。
ああ、ああ。
私は知ってるんだぞ。その彼女、本当に好きだった人に告白して振られた腹いせに、私の好きな人と付き合ってるってこと。付き合ってから本気で好きになったのか知りませんが、私はあなたが好きになるより、ずっと、ずっと前から好きなんだ。
そんなことをぐるぐる頭に巡らせながら、私は部活に向かう前の彼にチョコレートを渡すあの子をちょっと睨んでみた。ふたりの空間はあまりにも甘ったるく幸せそうで、私のほんの少しの抵抗はあの子の頭に刺さるでもなく、へし折れて教室の床に散らばっていた。
好きな子にチョコを渡す友達の付き添い。彼女からはお花の匂いがした
掃除係さん達も、こんな日に大変だな。掃除係さんの中にもチョコレートを渡したい人とかいるのかな。だったら早く渡したいだろうな。だって、恋愛は年功序列ではないけど早い者勝ちだもん。良かったら、私、掃除係代わりましょうか?なんて手を差し伸べてそのホウキを貰ってあげたい。そして、あの甘ったるい空間付近を忙しなく掃除したい。
その日の帰り道、私は桜色ほっぺの友達と歩いていた。私達は「帰って」いたのではなく「向かって」いた。友達が好きな男子の家でバレンタインのチョコレートを渡したいのだそうだ。
付き合っていれば学校で堂々と渡せるが、付き合っていない男女のチョコレートの受け渡しは、男子の恰好の餌食。冷やかしの対象である。
バレンタインデーはまだまだ寒い冬のイベントだが、これから好きな男子にチョコレートを渡す彼女からは春を感じてならない。
春の訪れを感じる時はどんな時かと尋ねられたら、私はどこからかお花の匂いがした時と答える。彼女からは今、その匂いがする。シャンプーの匂いとかそういうことではなくて。
いいなあ、チョコレートを渡せる人がいて。彼女の頭は今、どう渡そうかとか彼の返事とかそんなことで頭がいっぱいだろうけど、結果がどうであれ、私は友達が羨ましかった。
大人になったバレンタインデーは、あの時よりも悪化していた
でもね、中学生の私。
私はあなたが羨ましいよ。あの時の好きな人とは違う人を今の私は好きなんだけどね、同じコミュニティにいる人ではないから、毎日顔を見ることもできないし、ましてやバレンタインデーに会うことなんてできない。
今の好きな人には彼女がいる。
去年の年末に彼女ができてから、彼は私のSNSをブロックした。
恋愛はやっぱり年功序列ではないのだ。
先に好きになったほうが、彼にバレンタインのチョコレートをあげる権利を得るわけでも、彼に心待ちにされるわけでもない。
大人になった私のバレンタインデーは、さらに好きな人の顔を見ることさえもできなくなっている。事態は良くなるどころか悪化しているではないか。これでは何のために大人になったのか分からない。
罵詈雑言も冷やかしの言葉も飛び交わない広い空の下で、そもそも会えないので大人のくせにチョコレートを渡すこともできない未来を、もし中学生の私が想像できたとして、それでもあの日チョコレートを渡さなかっただろうか。
少なくとも、あの甘ったるい空間を穏やかな気持ちで見ることができたかもしれない。