もし今あなたに会えたなら、何を伝えるだろう。あのときの素直な自分の気持ちを伝えられるだろうか。

高2の秋に転校した私は、友達をつくるわけでもなく淡々と過ごしていた

6年前、父の海外赴任の終わりにあわせて日本に帰国した私は、都内の女子校に転入した。高校2年生の秋だった。
転入先の高校はある程度の進学校であったため、受験特有のピリピリした雰囲気(推薦入試を狙う生徒にとって、この時期は重要な時期らしい)が漂っており、突然やってきた転入生の私を気にかける生徒はいなかった。
かといって私も自分から積極的に友達づくりに動くわけでもなく、淡々とひとりで登校し、授業を受け、お弁当を食べて、下校するという味気ない日々が続いていた。

転入して3か月ほど経った頃であろうか、クラスも違うのに休み時間にわざわざ私のクラスまで来て、話しかけてくれる子ができた。レベル分けテストによって振り分けられた英語のクラスで一緒になった子だ。
父の転勤先の国についてや、そこでどんな生活を送っていたのか、それから私の趣味の話まで、最初はぎこちなかったものの、私たちが仲良くなるまでそう時間はかからなかった。
仲良くなると、その子が夢を叶えるためにトップレベルの大学を目指して毎晩遅くまで塾に通っていること、でもたまには眠る時間を削って大好きな映画を観ていること、授業がつまらなくなると電子辞書で文豪の作品をかたっぱしから読んでいること、音楽の趣味はお父さんの影響を受けてちょっと古いこと、日本の強い家父長制・ホモフォビアに強い嫌悪感を抱いていること、フェミニストであること、間違っていることに間違っているという強さをもっていること、自分の大事なものを守るための努力を厭わないこと、その子の魅力をたくさん知った。

淡々としていた学校生活が一気に明るくなり、その子と話せること、その子に会えることを楽しみに登校するようになっていた。
辛いはずである受験期がなんだか楽しい思い出になっているのは、その子との学校生活のおかげである。そして、そのときははっきりと自覚していなかったけれど、今なら分かる。私はその子のことが大好きだった。

その子と大学も同じになり、仲良しのままでいられると安堵していた

受験が終わり、その子は残念ながら第一志望の大学が叶わず、春から私と同じ大学学部に通うこととなった。大学に進学したらせっかく築いた友情も過去のものになってしまうのではないかと思っていた私は、その子の進学先が私と同様であることを知って、その子には悪いがこっそりと喜んだ記憶がある。
SHISHAMOの「中庭の少女たち」を聴いて、卒業したらもう同じようには仲良くできないのかなと毎晩感傷に浸ってしくしく泣いていた私は、同じ大学ならきっといちばんの仲良しのままでいられると安堵したものだ。

だがしかし、大学生活は思い描いたようにはいかなかった。
最初の1か月は二人でごはんを食べたり授業を受けたり、高校生のときとそう変わらなかったかもしれない。しかし、段々とお互いにお互いの友達ができ、属するコミュニティもそれぞれ別のものになった。
そうはいっても、定期的にその子は連絡をくれたし、毎日のように会っていた高校生のときのスタイルとは違えど、私たちは仲良くしていた。

しかし、ある日、その子に彼氏ができたと聞いて私たちの関係は変わってしまった。その話を聞いて、嬉しい気持ちや友達としての寂しい気持ちよりも、もっとずっと強い喪失感を私のなかに感じ、「あ、私あの子のこと好きだったんだなあ」と気がついた。
でも、もう遅すぎるし、なんなら誰にも話せないしと、ひとりで大泣きした。
これが初めての失恋だった。
その子はその子のままであるはずなのに、彼氏ができたその子は昔とは違う気がして、そして自分が抱いていたその子への好意に怯えて、自分から疎遠になるように振舞い、その子との距離はどんどん遠くなってしまった。

彼氏ができたその子は昔と違う気がして、距離が遠くなってしまった

同じ大学の同じ学部でも人数が多ければ、かかわることはおろかすれ違うこともなく、さらにはコロナ禍も重なり、もうかなり長い間その子の顔を見ていない。
私は私で恋人ができたり別れたり、別の新しいすごく仲のいい友達ができたり、高校生のときとは考えていることもできることも変わった。

でもふとした瞬間、あの子の好きな音楽を聞いたとき、あの子の好きな映画を観たとき、その子のことを思い出す。
なんならあれからフェミニズムに私も強い関心を抱くようになり、交換留学制度を利用してフェミニズムについて学んでいるし、自分のセクシャリティを自覚するようになり、LGBTQの権利の活動に積極的に参加するようにもなった。

今、あなたに会えたら、きっとあのときの気持ちを素直に話すと思う。
もうあのときと同じ気持ちをあなたに抱いていることはないけれど、それが理由も言わずに突然あなたとの距離をおいてしまったことへのけじめだと思うし、私が大事にしているセクシャリティの自由への誠実な向き合い方でもある。
高校生のときから家父長制・ホモフォビアに怒りを抱いていたあなたなら、当時の私の気持ちを受け止められなくとも理解してくれると思うから。
わがままかもしれないけれど、その上で「そんなことも昔あったね」と笑いあえる友達になれたらなあ、と今は思う。