学校じゃないどこかへ行きたい。疎外感から解放されたかった

子どもの頃、大人が苦手だった。
登校拒否気味だった私に、周りの大人は手を焼いていた。学校に行くフリをして一人でどこかへ出かけたり、校則で禁止されているアルバイトを勝手にしたりしては、親や担任の先生を困らせていた。
でも、これは誓って言うが、私には人を困らせたいなんて気持ちはちっともなかった。
ただ周りの人が当然のようにできることが、私にはいつも難しくてうまくできなかったのだ。
そして、それを分かってもらうことも。 

学校では毎年4月にはちゃんと居場所があった。ちゃんと新しい友達をつくり、女子のグループに所属し、机をくっつけて一緒に楽しくお弁当を食べることができる。
ただそれを持続できないのだ。話を合わせ、誰かの悪口に頷き、読みたくない携帯小説を読み、見たくもないテレビ番組をしっかり見ないことには、そのグループに迎えてもらうことができない。
次第に疲れてきて度々学校をサボるようになり、女子のグループにいられず、夏には自分の机に向かってひとりでお弁当を食べることになる。

いつだって学校を辞められたらどんなにいいかと考えていた。学校じゃないどこかに行けば、私は人に分かってもらえるんじゃないか。この疎外感から解放されるんじゃないか。
ただそれがどこなのか、どうしたらいいのかも分からなかった。

初めての一人旅で沖縄へ。知らない国に迷い込んだような気分

大学生になっても私の生活は相変わらずだった。大学ではなんとなくヘラヘラして過ごし、友達らしい友達もできず、行ったり行かなかったりを繰り返していた。
どこかで一人になりたい……。そう願い、1年生の最後に初めての一人旅を決行した。

行先は沖縄。旅慣れていなかった私は、とにかく駅から近くて安い宿を予約していた。
那覇空港に着き、ゆいレールの駅で降りる。徒歩3分で宿に着く。
前の広場に大人が5~6人座って何かしている。男性がひとり、私に気付いて立ち上がった。
「はいさい!」
満面の笑みだ。その手には缶ビールを持っている。私がチェックインだと告げると、彼が宿を案内してくれた。なんと宿の前でビールを飲んでいたのは宿のスタッフだった。
チェックインは大学ノートに名前と住所を書くだけだった。こんなアナログなチェックインがあるのか。なんだか知らない国に迷い込んだような気分だ。
彼は私の名前を見て言った。
「マナちゃんね!俺、アサヒ!今、みんなでろうそく作ってっから、マナちゃんもやろうね!」
こんなに屈託のない笑顔を見せる大人を、初めて見た。

5分後には、宿の前で5~6人の中に混じって座っていた。近所のおじさんがろうそくを作るワークショップを開いていると言うのだが、ろうそくはどうやらついでのようで、みんなお酒を飲んだり三線を弾いたり好き勝手していた。

そこに集まった人々は年齢もバラバラの大人ばかりで、私が19歳だと言うと、「いいねー!」「19歳の一人旅、最高だねー!」と、とても喜んでくれた。
出発前、私が一人旅に出ると言うと、「またあんたは危ないことして……」と、両親はいい顔をしなかったのを思い出す。
でもここにいる大人は、少し違うようだった。彼らはみんな、一人旅の最中だった。スタッフのアサヒでさえそうだ。日本中を周っているうちに沖縄が気に入り、しばらく宿で住み込みで働きながらのんびり暮らしているという。

会社を辞めてヒッチハイクで旅をしているという人。普段は東南アジアで放浪しているが、気が向いたので沖縄に来たという人。バーで歌って稼いだお金で暮らしているという人。
ろうそく作りを教えてくれた近所のおじさんも、住まいは愛知で、沖縄が好きだから年に数カ月はこうやって来ているそうだ。
なんだ。世の中、言われた通りのことをやっている人ばかりじゃない。好きなことをやっていても、大人になれるのだ。
そんな事実を、私は初めて目の当たりにした。

初めて出会い、明日サヨナラする人同士で語り合う空間

夜になると宿の1階がバーになり、旅人だけでなく地元の人も訪れるのでより賑やかになった。
今日初めて出会い、明日にはサヨナラする人同士で、ちゃぶ台を囲んで語り合う。私が窮屈に感じていた「学校」とは違う社交場がここにはあった。

未成年の私はカルピスを飲んで、彼らの旅の話に耳を傾けていた。
「マナちゃんは大学生?学校楽しい?」
「全然楽しくないです」
急に話を振られ、反射的に正直に答えていた。尋ねた彼は、「そうだよねえ、楽しくないよねえ」と頷いた。
「一期一会のここにいるのが楽しい人は、学校は楽しくないよねえ。つまんないでしょ。毎日同じ人と一緒にいたり、周りに合わせたりするの」
ハッとした。
ここにいた。この人は、私の言いたいことを分かってくれる「大人」だった。

私はその宿に5泊した。毎晩人が入れ替わり、毎晩違う宴会が繰り広げられた。みんなそれぞれに違う道を歩んできて、それぞれに違う話のネタを持っていた。
携帯小説を読んでいなくても、決まったテレビ番組を見ていなくても、同じ話題を共有しなくても、ここでは素晴らしい時間が流れていた。

あれから10年経ち、私は29歳になった。
沖縄の旅で「みんなと同じである必要はない」と学んだ私は、すっかり大人への苦手意識を克服していた。父は父。母は母。先生は先生。そして、私は私で、周りを説得したり、分かってもらったりしなくていいのだ。
沖縄で出会った彼らのように、私を分かってくれる人は必ずどこかにいるのだから。

私は大学を出てから、国内外を行ったり来たりして自由に暮らしている。
疎外感は、もう無い。