人を頼った時、その人が本当に自分にとって大切な人か、必要な人かどうかわかると思う。
付き合った彼氏に執着された。判断力に自信がなくて友人たちに相談した
3、4年前に、なんとなく付き合った彼氏が私には新しいタイプの人間で、理解し難かった。
連絡はどんな時でも5分以内に返してほしい、極力毎日会いたいし会えない日は夜長電話したい、と言うような人間だった。
彼は、家が裕福で将来のことも考える必要はなく、暇だった。逆に私は、一人暮らしで、ほぼ毎日一限から五限まであり、進級が厳しい学校に通っていた。
金曜の夜と休日はアルバイト。私は、学校とお金が最優先。彼は極力私といることが最優先。生活も優先順位も真逆だった。
私は基本的に用もなく連絡を取ったりしないし、電話は嫌いだ。一人の時間が何より大切だし、そもそも寂しいという感情がほとんどない。
そんなに頻繁に一緒にいられるわけでも、連絡を返せるわけでもないし、生活を侵害しないで欲しいことを相手に再三伝えたのだが、改善される様子が見られなかった。
いっそ、相手が私とは合わないと思い、離れてくれれば良かったのだが、全く離れる気配もなかった。
今までは付き合っても、お互いなんとなく合わなそうな気配を察したら流れで別れていたため、執着されたことなどなかった。
私は、最初の1ヶ月ほどで、どうしたらいいのかわからなくなり、軽くでもいいから話を聞いてくれそうな友人にはこの時期、会ったらとりあえず彼氏の話をしていた。
もともとアルバイトが同じだった人、高校のクラスメート、サークルが同じだった人、年上年下関係なく話した。
私はそもそもダラダラ考えることが嫌いだし、最終的に決めるのは自分なのだからという思いが強く、人に相談することはそれまでほとんどなかった。
しかし、この時ばかりは自分の判断力に自信がなかったのだ。
一般的には、若いうちは特に頻繁に連絡を取りたがるものだろうし、数ヶ月で別れるのは自分の忍耐がなさすぎるのではないか。
相談してみると受け止め方は様々。そして大切な友人はだれか明確になった
とにかく、相手のことが何から何まで理解できなかったので客観的な意見が欲しかった。
結果この時人に相談したことで、彼氏が自分に依存していることを改めて認識できたのだが、それより私のなかでは、自分にとって大切な友人、それほど大切ではない友人が明確になった。
私は、基本的に1対1で人と会うことが多く、多くても3人くらいでしか会うことはない。一緒に過ごした場合、相手の話に集中しやすい状態になるからだ。
そんな状況での相手の反応で、私は無意識に自分にとって相手が大切かどうかがはっきりしてしまった。
もしかしたら、側から見たら、私がかなり悩んでいるとは思えなかったかもしれない。
私は、自分にとって真剣、深刻な話でも、空気を重くして話すことができない。変な空気になるのが怖くて、結構軽い口調で話していた気はする。
それでも、ちゃんと向き合ってくれた人もいれば、彼氏がいるだけマシだろうといった反応をする人もいた。
全員が全員、人の話をまっすぐ、純粋に受け止められるわけではないらしいことがよくわかった。
まっすぐ、ただ話を聞いてくれた友人には感謝している
世間的にはやはり、彼氏がいること自体がステータスといった風潮は多かれ少なかれあるのだろう。確かに、彼氏というポジションの人はいるのだが、彼氏以前に人間関係として悩んでいた私は、ただ話を聞いて欲しかっただけなのだが。
恋愛関係の話は、あまり得意としない友人も多かった。もともと人間関係を普段相談しない私に戸惑った友人もいたと思う。
何も、明確な答えや的確なアドバイスがほしかったわけではない。もちろん、改善案やその人の意見がもらえれば嬉しいが、ただ私の話を受け止めてくれればそれで良かった。ねじ曲がった、穿った見方さえされなければそれで十分だった。
だから、恋愛関係の話があまり得意でなくとも、まっすぐただ話を聞いてくれた友人にはとても感謝している。
この相談の反応がきっかけで、よりずっと大切にしたい友人は今のコロナ禍でも連絡を取ったり、たまに食事をしている。一方、冷めてしまった友人は、コロナ禍で会いづらいことも重なって、全く連絡を取らなくなってしまった。もし、連絡がきたとしても、よっぽど暇で人に会いたい気分でもなければ会わないだろう。
人に頼った時、その人が自分にとってどういう人か、相手が自分のことをどう思っているのか、改めてよくわかるのだと思う。
私は、人として大切にできる人数は限られていると思う。だからこそ、より自分を助けてくれた人はずっと大切にしていきたい。