わたしは「外国への夢」からではなく、「反骨心」から大学生の休暇期間を「旅」にあてることになり、それから「旅」はわたしにとってかけがえのないものになりました。
大学生になりバイトを始め、自分のお金で旅をするまでは修学旅行で海外に行ったくらい。
それまでは部活と学業に専念し、外の世界を知りませんでした。
行ったことのない国に文句を言う両親を見て、海外へ行こうと決めた
そんなわたしが海外にいきたいと思ったのは、なんでもない日常で感じた違和感からです。
流れてくるニュースで色んな国の情報が入る中、両親が行ったことのない国のことに文句をつけている姿を見て、「わたしはこの目で見たことを元に話せる人になりたい」とまっすぐな反骨心で海外にいこうと決めたのです。
我ながらなんとも可愛くない娘です……。毎度旅を止める保守的な両親とケンカをしながら旅にでていました。
そうして、バックパック背負って旅をするうちに、人を疑うこと・信じること・自分の心を大事にすること・分かつこと・言語の壁は越えられること、などを経験でもって学んでいきました。
わたしは大学生のときに出合った「旅」で人格形成をしていったと言っても過言ではないな、と振り返って思うほどです。
約20か国の1人旅・友達との旅、様々な場面で出会った人たちから沢山のことを学び、わたしのかけがえのない価値観となりました。
見ず知らずの人たちがくれた優しさが私を大人にした
その旅の学びのなかでもわたしに大きく影響を与えた学びは、「無償で与える」の心です。
旅の最中では知らない人が道案内してくれたり、一緒に時を過ごしてくれたり、家を宿がわりに貸してくれたり、ご飯をシェアしてくれたり、沢山の人が見ず知らずの私に優しさをくれました。
旅をするまでは少し自己主張も強く所有欲もあったわたしは、自分の分としてとっていた食料品や消耗品を分けるのが苦手でした。「せっかくとっといたのに!」という気持ちが強かったのです。
そんな、けちん坊のわたしを少し大人にさせてくれた気がするのが旅での経験でした。
なぜなら、「こんなにも沢山の人に優しさをもらったんだから次はわたしの番だ!」と「人になにかを与えたい」という気持ちが強くなったからです。
アメリカのポートランドではバスのおっちゃん運転手が気前よく無料で乗せてくれたり、キューバではバスもタクシーもない海辺から街までの道をカップルが車の荷台に乗せてわたしを運んでくれたり、南フランスでは道に迷ったわたしに暖かいご家族が宿と食事をくれたり、モロッコでは行き先とバス代の嘘をついた運転手に交渉して正規ルートを用意してくれたジェントルマンがいたり、スペインでは空港までいくバスのお金を青年がくれて「ボンボヤージュ」と言ってくれたり。
本当に様々な人に助けられて、いま、私が生きています。
生きることへの自信は、「何か与えたい」という心の余裕を作った
きっと何度も死ぬチャンスがありました。
現地の人の車に乗せてもらったり、家に泊まらせてもらったり、たまたま素晴らしい人たちに出会ったおかげで今がありますが、もしかしたらひどい目に合っていたかもしれません。
出会った人たちがくれた優しさはわたしの生きる勇気になりました。
生かされていると強く思うようになったのです。
そして、この生きることへの自信のようなものは、「人になにか与えたい」という心の余裕をつくってくれたのでした。
優しさをくれたみなさん、わたしは覚えています。
あの体験を、あなたの目の輝きを。
いつかまた会えるときに、この先いつの日か出会う人に、恩を繋げられる人でいたいと思います。
旅でしか得られない学びがあるから、わたしには旅が必要でした。
きっと、これからも。