「私、大学を辞めたいんだけど」
そう父に打ち明けたのは、大学2年生の秋。
毎週父が決まって飲みに出かける居酒屋まで迎えに行った車の中だった。

昔から真面目な私のコンプレックスは、親に本音を言えないこと

思い返せば私は昔から真面目だった。
小学校4年生からバスケットボール部に入ったが、練習がとにかく厳しく、周りの部員は毎日適当な理由をつけては練習をサボっていた。でも私にはそれができなかった。
必死に練習を重ね、5年生の時からレギュラーの座を勝ち取った。
勉強も嫌いではなく、学級委員も何度か務めた。
そんな私が当時から抱えていたコンプレックスは、「親に自分の本音を言えないこと」だった。

母は夜に家を空けることが多く、父は無口な仕事人間だった。
気が付けば私の頭の中は、親の機嫌を取ることや親の期待に応えることでいっぱいだった。
この気持ちと葛藤することになったのは、高校受験の時。
自転車で通える距離にある進学校を勧めてくる母に対し、私は高校を卒業したら就職して家を出たいと思っていたが、それを伝えることすらできず、母が思う通りの道へ進んだ。
そしてのちに四年制大学へ進学することとなった。

大学生活は楽しかった。友達もできたし、ドラマで観るような男女のグループができてみんなで出かけたりもした。
しかし、常に私に付き纏ったのは、自分の意思とは違う道を歩んでいる不安と迷い、そして後悔だった。

大学中退の相談をした夜も、いつもの言葉が返ってくると諦めていた

今まで父には何度か相談事をしたことがあるが、決まって返ってくる言葉は「ママがいいと言えばいいよ」だった。
大学中退の相談をしたあの夜も、きっとそう言われるだろうとどこかで諦めていた。
ところが、父の第一声は「そうか、分からなくもないよ、その気持ち」だった。
私はその時、初めて自分の素直な意思が親の心に浸透していくのを感じた。
それだけで嬉しくて涙が出そうだった。
お酒を飲むと口数が増える父は続けて言った。
「大学を辞めたら就職して、“お金を稼ぐ”ということを必ず続けなさい。そして大学を辞めたことを後悔しない人生を送りなさい」

私は自分の気持ちを受け入れ、背中を押してくれた父の気持ちに応えたいという一心で就職活動をした。
もちろん就職までの道のりは険しかったが、初めて自分で切り開いたという実感を持てたこの道に迷いはなかった。
しかし、大学辞めることはやはり恥ずかしさもあって周りの人には言えず、高校時代の友達数人にだけ話した。
その中の友達の1人が、ある日食事に誘ってきた。
高校時代からしっかり者の性格で、看護師を目指している友達だった。

彼女は私に、誰にも言えない今の悩みを打ち明け始めた。
それは「看護学校での勉強についていけていない。辛くて本当はやめたい。だけど自分に負けたくない」というものだった。

気持ちを押し殺して耐えていたのは、私だけではなかった

彼女からこのような相談を受けることは意外だった。
昔からプライドが高く、その分努力もするし自分の弱みを見せないタイプだったからだ。
私はただただ話を聞いてあげることしかできなかったが、別れ際に彼女はこう言った。
「聞いてくれてありがとう。大学辞めるって聞いてすごく意外で。ちゃんと大学出て就職する優等生って思ってたから。だから(私)にだけは話せるって思ったんだ」
複雑な気持ちになるかと思いきや、心の底から嬉しかった。
自分の気持ちを押し殺して耐えていたのは、自分だけではなかった。
彼女の逆境に負けたくないという強い気持ちは、私にとてつもないパワーをくれた。
そして何より嬉しかったのは、こんな私を頼りに思ってくれたことだった。

大学を中退した私は、父の言葉通り就職し、8年が経った今も辞めることなく同じ会社で働き続けている。
そしてそこで出会った人と結婚し、一児の母となった。今思えば、父の理解と励ましが繋いでくれた縁なのかもしれない。
一緒に食事した友人はあれから看護学校を無事に卒業し、今も看護師として多くの人を救っている。

今でも求人広告で「大卒以上」という言葉を見ると、チクリと胸が痛む感覚はある。
しかし、今の充実した生活と当時の気持ちを思い出せば、それはコンプレックスとは到底言えない。父と友達への感謝の気持ちを持ちながら、これからも自分で切り開く後悔のない人生を作る旅は続いていく。