「休むのはいいことだ」
「死にたくなったら、逃げればいい」
新卒3年目に鬱病を診断され、しばし仕事を休むことになった、と人に話すと、優しい励ましをもらえるけど、当事者の心中はそんなに穏やかではない。
仕事をしていないことを焦慮していると、「休むことが仕事だよ」と言われる。私は、そのたった一つの仕事もうまくできない。だって、勤め人としても一定の任務を果たせていたか怪しい会社員だったくらいだし。

頭の中をめぐっていた「お金」に関する不安は、やがて和らぐことに

屍のようにベッドの上で横たわって天井を眺める。
脳裏に浮かぶのは、これからのキャリアに対しての不安が6割、家賃・食費・医療費・エトセトラに対しての不安が3割、何者でもなくなった喪失感・罪悪感が1割。
ぐるぐると蠢いているうちは、まったく休んでいる気持ちにならなかった。
それどころか、「無理矢理にでも仕事に復帰したら悩みがなくなるかもしれない」という、すごろくの「ふりだしに戻れ」のような、的外れなアイデアまで浮かぶ始末だった(流石に、医師から止められた。突飛もないアイデアが生まれて活力に満ちることを躁転というらしい)。

休職して数ヶ月後、傷病手当金が振り込まれた。
傷病手当金とは「病気やケガで休業しているとき、最長1年6ヶ月もらえる給付金」のことだ。1日あたり標準報酬日額の3分の2がもらえる。会社によってその金額や期間は異なるが、私の場合は、毎月の給料の3分の2程度が口座に振り込まれた。
贅沢な生活はできないし、一人暮らしならカツカツくらいの金額だ。だけど、この振り込みで、悩みの3割が消えてなくなった。
脳のメモリ不足が解消された。不要なアプリをアンインストールして、再び動作が軽くなり、作業効率が上がったパソコンみたいだ。そうして初めて、私は「なにもしない」「何も考えない」をすることができた。

家にこもっていると、湧き上がる不安。外に出ればお金もかかる

無意識のうちに、お金を使うことに罪悪感を感じていたらしい。紅茶を飲みにいったり、映画を観にいくだけでも居心地が悪く、できるだけ家にこもっていた。
「休職中に外でお茶なんて!」と注意の言葉をいただきそうだが、心の憂さの捨てどころはあったほうがいいと思う。私の場合、家の中ではどんどん将来への不安が湧き上がってしまうので外に出るのが必要だった。自分の機嫌を取るには否でも応でもお金がかかる。

そういえば、うつ病になる前、上司からたくさん理不尽を受けた日に「こんなに辛いんだったらあしながおじさんが迎えにきてくれるんじゃないか」って妄想した。
私以外の全員が退勤しているビルで、巡回にきた夜勤の警備員さんと一言ふたこと交わしたあと、無機質なコピー音が響いている部屋にいるとき。どこかのお金持ちのおじさんが偶然通りがかって、
「今までよく頑張ったね。毎月20万円振り込んであげるから仕事をお辞めなさいな」
と頭を撫でてくれ、優しくハグしてくれる――そんなむなしい話を期待した。

妄想したあしながおじさんは現れなかったけど、私を守ってくれたもの

おじさんは現れなかった。仕事も辞めていない。代わりに、会社から毎月口座に一定額が振りこまれている。
私を傷つけた会社であるけれど、私を守ってくれたのも他ならぬ会社だった。
「仕事なんか辞めてやる!」
「一刻も早く会社員じゃなくなる!」
そんな目標もあったけど、意図しない形で会社員の特権を手に入れてしまった。しばらく、私は会社から離れられなさそうだ。
毎月25日、ATMの数字が増えているのを確認すると、私は会社に頭を撫でられ、そっと後ろから抱きしめられているような感覚になる。
これが会社員。これが福利厚生。
しばらくは、会社員という肩書きに安住してお暇をいただこうと思う。