私が葬儀社に入社したのは、友人の死がきっかけだった。
それはあまりに突然のことだった。

葬式自体あまり出たことのない私は、どうしたらいいのかわからなかった。
大好きだった友人にもう二度と会えないという実感も湧かないまま、参列者の列に並んでいた。
この時はまだ涙も出なかった。メールを送れば返信が返ってくるような気がしていて、またいつものようにくだらない話をするんだろうと、どこかで期待していた。

「これが最後になります」。葬儀社スタッフの言葉に、我に返った

ただ、棺の中の友人の顔を見たとき、その思いは消えた。
真っ白な友人の顔が、そこにはあった。頭の中の整理ができず、目の前の現実に追いつくことができない。脳内を楽しかった思い出が駆け巡った。

棺の中で眠っているのは友人によく似た人なのかもしれない、これは夢だからそのうち目覚めるのかもしれない、驚かせるのが好きな友人が私をからかっているだけなのかもしれない……受け止めきれない現実を目の前にして、私はそんなことばかり考えていた。
同じように現実が受け入れられず呆然と立ち尽くす人、すすり泣く人、友人の手を取り涙を堪える人……そして嗚咽するほど泣く友人の両親の姿が見えた。葬式はとても胸が痛むものだった。
その時だった。
「これが最後になります。棺の中に、一緒に納めたい言葉はありませんか?」
式場の中に強い声が響いた。
それは葬儀社スタッフの声だった。私は我に返り、これが最後になることを思い出した。
私はゆっくりと棺に近づいた。
「今まで本当に本当にありがとう。楽しい思い出を作ってくれて、いつも私を元気付けてくれて、友達になってくれて。絶対忘れないから」
友人の手を取り、感謝の言葉を伝えた。

葬儀社スタッフの声は、大切な人に最後に何ができるかを教えてくれた

それを筆頭に、次々と棺に向かって色んな言葉が集まり始めた。それは感謝からはじまり、後悔や、面白かった思い出など、皆それぞれの伝えたいことを話した。
悲しみでいっぱいだった式場に、友人への言葉があふれた。
「とっても愛されていたのね。そっちの世界に行ってもずっと大切な娘だから」泣きながら笑う両親が棺の蓋を静かに閉めた。

大切な人が亡くなる事はとても悲しい。そんな当たり前のことを私はこの時初めて実感した。
それと同時に仕方のないことなんだとも思った。生まれてきた以上、死は約束されている。今出会っている全ての人といつかは別れなければならない。いくら泣いても、いくら目を背けても現実が変わることはない。
私はあの葬儀社スタッフの強い声を思い出した。
大切な人が突然いなくなり、どうしていいか分からなくなった時、あのスタッフの声は私の光になった。大切な人に最後に何をしてあげられるかを、あの声は教えてくれた。

葬儀社スタッフとして式場に立ち、思う。あぁ、これはいつかの私だ

それがきっかけで、私は葬儀社に就職した。
そして今、目の前には現実が受け入れられず呆然と立ち尽くす人、すすり泣く人、涙を堪える人……。
葬儀社スタッフとして式場に立ち、周りを見て私は思った。
あぁ、これはいつかの私だ。どうしていいかわからなかった私だ。
マイクを握り、息を吸い、ゆっくり声を出した。
「これが最後になります。棺の中に、一緒に納めたい言葉はありませんか?」
私の声が静かな式場に響いた。

近年、葬儀はどんどん小規模に、そして簡単になってきている。
理由は色々あるけれど、金銭的な理由が特に多い。この仕事をして思うことは、葬儀は亡くなった方々が天国へ行くためだけの儀式ではない。残された人たちが、大切な人を失った悲しみを乗り越え、自分の人生を生きていく為の準備だと考える。
「あなたが担当してくれて本当によかった」
「主人もきっと喜んでいます」
私より何十年も長く生きてきた人達が、涙を堪え、深く深く頭を下げてお礼を伝える姿を見るたび、私はこの仕事を誇りに思う。