「一度も練習を嫌になったことはない」
 後輩のこの言葉が、私を変えた。
 私には好きなものがある。一つや二つと数え切れないほどある。でもその中で特別好きなものがある。幼い頃から18年以上続けている水泳だ。
 私は3歳になる頃から21歳の現在まで、全部で4つのスイミングスクールに通ってきた。
 水泳を始めたのは父の赴任先にあったスイミングスクール。田舎だから他にできる習い事がなかった、というのが水泳を始めた理由だった。このスイミングスクールのことはほとんど覚えていない。背泳ぎ中に見た天井の高さと広さだけが、ぼんやりと思い出せる。

 小学生になって、父の転勤に合わせて東京に来た。東京に来て初めて通ったスイミングスクールのことは、今でもよく覚えている。このスイミングスクールで、水泳が今までの人生のほとんどを占めるようになったからだ。選手コースに入ることになって、週に2回だった練習が4回、5回、6回、と増えた。

 中学生の頃には、学校のある日なのに朝練もすることになった。ここでの練習はつらいことばっかりで、泣いたこともたくさんあったけれど、水泳選手としての私の基礎の全てが、ここに詰まっていると思う。楽しい思い出もたくさん詰まった場所だから。このスクールに通っていた時の私にとって、水泳は好きとか嫌いといった言葉で表せるものではない、私の全てだった。

 中学3年生になって、新しいコーチになった。新しいコーチは優しかったけれど、私とは合わないタイプだった。合わないタイプのコーチであることを理由にはしたくなかったけど、水泳から逃げたくて仕方がなかった。泳ぎたくないと泣く私に違うスイミングスクールに移ることを勧めてくれたのは誰だったかは、正直覚えていない。でもこの決断がなければ、私と水泳の関係を変えた人に出会うことは無かったと思う。

諦めることで、私は水泳を好きになれた 初めて好きになったとさえ思う

 新しいスイミングスクールは、今までの練習や環境と180度違う場所だった。小さなプール、狭いロッカー、短い練習時間。それでも、全国大会でメダルを取るような先輩がいることは変わらなかったから、驚きの連続だった。ここで、私はとある後輩と出会った。
その子は私の一つ下の子で、水泳を本格的に始めたのも、全国大会に出場するようになったのも、私より遅かった。だけど出会った頃の彼女は、選抜合宿にも召集されるような選手で、一緒に泳ぐことが楽しかった。彼女は高校生になったら、もっと大きな大会に出るようになっていた。合宿で一緒に泳げない日も増えた。そんな中、別の後輩が、「練習が嫌になったことないの?」と彼女に聞いた。それに対する彼女の答えが、私の心に深く刺さって、水泳への思いを大きく変えた。
 彼女は「嫌になったことは一度もない」と答えた。それを聞いて、私は彼女みたいにはなれない、と思うと同時に、水泳を諦める気持ちを持つことができた。諦める、というとマイナスイメージが持たれる言葉だと思う。だけど諦めることで、私は水泳を好きになれた。初めて好きになったとさえ思う。

選手を辞める決断を後悔したことはない 好きなものと出会えたから

 自分のことだけれど、私もそれなりのレベルの選手だった。とある大学の勧誘もあって、大学でも選手を続けることを考えていた。親や担任の先生は勧誘に乗り気だったから、大学の練習見学もして、推薦試験も受けることになった。だけど、私の心は戸惑いしかなかった。大学生活に水泳を懸けることを想像できなかったからだ。この戸惑いを誰にも言えない状況が続いていた中で彼女の言葉を聞き、私は選手を止める決断が出来た。
 大学に入ってからは、新たな環境で泳ぐことにした。今は地域のスポーツクラブで週に1度、社会人の方々と泳いでいる。
 選手を辞める、この決断を後悔したことはない。私にとって水泳は、懸けるものじゃないと気づいたから。自分を肯定する術ではないものになったから。好きなものと出会えたから。諦めることも悪いことじゃないと気づいたから。自分を好きになれたから。変われて、良かった。