大人の発達障害。そう診断されてから1年と半年、私は正社員を辞める。
2020年8月、あの時から私の仕事への向き合い方は変わってきた。
同時に、この辛く苦しい生きづらさとのうまい付き合い方を模索できるようになってきたのだ。
期待が心地よかった職場。ある時ADHDと診断され上司へ伝えると…
大卒の新卒として入社した前職を3年経たずに辞め、アルバイトで入った現職で社員に登用してもらって約3年。
私はとにかく期待に応えようと、上級職を目指して日付が変わるまで働き、休日も職場で過ごす毎日を送っていた。その甲斐あって、同世代の女性からすると早く、主任へ上げていただいた。日々の業務は忙しく、プレッシャーで胃も痛めたが、周囲からの期待がなによりも心地良かった。
私には精神科の通院歴があった。16歳の頃から、良くなったと思えば症状が悪化して受診を繰り返していた。
主任に上がった頃、症状が悪化して再び精神科の門を叩いた。新しくできたばかりのクリニックで、先生は有名な大学病院から来たという。そこで私は、生まれつきのADHD、そして二次障害の双極性障害と診断される。
「この生きづらさには原因があったのか」
診断後、私は理解と配慮を求めるべく上司へカミングアウトした。普段からミスや遅刻で迷惑をかけ、商談中は周囲の声で集中できず、自分が何を話しているのかわからなくなる。一方で話し出すと止まらず、無駄な行動も多く、頭の中には常に色々な考えや声が響いている。双極性障害の症状の1つでうつになることもあった。
自分の居場所は仕事だけじゃないと思えるようになったキッカケ
今思えば、上司に何を理解し、配慮してもらいたかったのかはわからない。ただ自分のことを知ってもらいたかっただけだったのかもしれない。
上司からの返答は次の通りだった。
「ADHDが商談中のネタになるじゃん!俺の先輩でそうやって契約取った人がいるよ」
上司の言葉に傷ついたとまで言いたいわけではないが、私はこう思った。
私はこれから、自分自身の特性を更に理解し、この仕事という舞台で自分を表現しなければならない。さもなくば私が私らしさを発揮できる場がない、と。
仕事こそ自分の居場所であるという考え方は、そう簡単に変わらなかった。
しかし、自分の症状を理解すればするほど、私が自分を表現する場所は仕事しかないのに果たしてどうしたらいいのか、と絶望することが増えた。
仕事のストレスで病状が悪化していると医師に何度言われても、症状で同僚を振り回し人脈を失っても、仕事にしがみついていた。
2021年7月、私の人生が大きく変わることがあった。今は婚約者となった彼との出会いだ。同じ職場にいた彼は、私の得意なことと苦手なことを探し出しては整理し、得意なことにたくさん挑戦するよう、様々な選択肢を提示した。
また、幼少期からADHDのおかげで常に両親から怒られ、暴力も振るわれていたために自己肯定感が下がり切った私を何度も褒め、尊敬してくれた。
自分の居場所は仕事だけではないと、やっと思えるようになった。
仕事も私の自己表現の場の1つ。だからこそ、特性と合う方法を選ぶ
これから私は正社員を辞め、同じ職場のアルバイトに戻る。アルバイトであれば社員と比べて責任も少なく、自分の得意なことを多くできる仕事内容に変えてもらいやすいこと、そして時短にすることで体力と気力の回復をはかるためだ。
彼と出会っていなかったとしても、あのままの勤務状況では遅かれ早かれ辞めていただろう。今まで幾度となく転職サイトを見てきたことだろうか。
仕事自体を辞めようとは思わない。仕事も私の自己表現の場の1つである。
しかし、自分の特性と、社会の中での生きづらさと向き合った時、その折り合いをつけるため、仕事の場所や時間を選ばざるを得ないことは間違いがない。それが仮に収入が今の半分になったとしても。
私は仕事でどのような自分を表現したいのだろう。そのために仕事に何を求めるのだろう。そして、社会と自分の接点をどこまで持ち続けたいのだろう。
私はこれからも自問し続ける。