仕事は相手がいるからこそ成り立つ。どの分野でもそうなんじゃないかと私は感じる。
上司や同僚はもちろん、私の場合は患者さんが相手だった。

まだまだ認知度が低い臨床工学技士の仕事を選んだ理由は、なんとなく

今は自身の体調不良で退職してしまったが、7年間病院で働いていた。
学校で勉強をして資格も持っている。臨床工学技士なのだが、あまりにマイナーな職種なので(病院関係者にも知らない人がいるくらい)説明するのが難しい。頑張って説明しても、いつも臨床検査技師に間違われてしまう。
私の仕事はそんな仕事。
最近はコロナ関係でエクモという機器が話題になったので、それを操作する人だよと説明している。ただ私は、7年間で実際に患者さんに使用する際に関わったのが3回だったので、ほんの仕事の一部にしか過ぎない。
いつかこの仕事が世間に認知されればいいなと願っているが、果たしてやってくるだろうか。

私がこの仕事を選んだのは、なんとなく。
本当はやりたい仕事が他にあったのだが、親の反対を押し切ってまで挑戦する勇気はなかった。
それで、たまたま高校生の頃に知った今の資格が取れる学校に進学した。

身近になる「死」。頭ではわかっていても、心が追いつかない

私は実習先の病院で、なんでもこなせてみんなから信頼を得ていた方の姿を見て、かっこいいなと思った。
その時に初めて頑張ろうと思えた。なんとなく選んだ職業への見方ががらりと変化した瞬間だった。
その姿に憧れて、色々な経験が積める総合病院に就職した。業務も多岐にわたっていた。
何年も働いていると、私の得意なことと苦手なことがはっきりしてきた。
そんな中で、特に患者さんと直接関わる仕事が好きだった。

病院で働きだしてから「死」というものが身近なものになった。
これが私にとって仕事をしてからの一番の変化だった。
昨日まで顔を合わせていた患者さんが、次の日にはこの世にはいない。
頭ではわかっていても、心が追いつかない。
何度経験しても慣れなかった。仕事である以上、ひとつひとつの「死」に対して悲しんでいられない。
でも私にはそれができなかった。きっと向いていないのだと思う。
医療現場で働いている以上、気持ちをすぐに切り替えないといけない。
患者さんはたくさんいるのだから。
だからこそ今生きている患者さんときちんと向き合おう、そう思うようになった。

何度上司に注意されても、人との関わりを機械的になんてできなかった

透析治療というものがあって、患者さんは週に3回も、4~5時間程の治療を受けにやってくる。
食事や水分の制限がある上に治療も辞められない、とても大変なことだ。
たくさん顔を合わせるから、常に表情や体調の変化がないか観察している。
会話も何かの手がかりになるかもしれない。
私は少しでも心地のいい空間にしたくて、笑顔で接したり好きそうな話題を振ってみたり、辛くてたまらない患者さんには話を聞いたりと、患者さんに合わせて接し方を考えながら日々働いていた。

上司には、「もう少し機械的にやって欲しい。皆が同じように動かないと、あの人はやってくれたのにとか苦情がくるから」とよく注意はされていたが、私は変に頑固なため、上司の言うことは聞かずに患者さん目線で動いていた。
社会に属している以上、自分勝手に行動するのはよくないのかもしれないが、私にはできなかった。
だって、人と人との関わりなんだから。機械的になんてできない。

たくさんの「死」を見てきたからこそ、今関わる人を大切にしたい

心に残っているのは、終末期の患者さんでどうしても自宅に戻りたかった方。
本人の頑張りにより自宅で最期を迎えることができた。
落ち着いた後に家族の方がお礼を言いに来てくださったのだが、私が担当の日ってわかると、本人も安心していたのだよ、と言われたこと。
そんな風に思ってもらえてたなんて知らなかったから、いままで自分が積み重ねてきたものが伝わったのだなと嬉しくなった。

病院にはたくさんの患者さんが来るため、ひとりひとりに掛けられる時間も限られている。それで不満に思っている人も多いかもしれない。
でも、限られた時間で患者さんのことを考えて働いている人もたくさんいる。
そう感じられるような信頼関係を築けるよう常に心掛けていた。
なかなかうまくいかないこともあったが、少しずつ寄り添えるように。
患者さんの苦しみは私にはわからない。だからこそできることはやっていきたい。

たくさんの人の「死」を見てきたからこそ、私は今関わっている人のことを大切にしたい。
いつまでも、会えるわけじゃないのだから。
仕事は私にこのことを教えてくれた。