現在放送中の朝の連続テレビ小説「カムカムエヴリバディ」は、ラジオ英語講座を通じて紡がれる、親子3代100年の物語なのだが、2代目ヒロイン、るいの夫である大月錠一郎(通称ジョー)について思うことがある。
ジャズトランペッターのジョーは、周囲の勧めで意を決して出場したコンテストで優勝し、東京でレコーディングとデビューコンサートのために準備をしていたが、なぜか突然トランペットを吹けなくなってしまう。一時は絶望的だったけれど、るいのおかげで立ち直る。
しかしジョーはおよそ20年経ってもトランペッターとしてはもちろん、全く働いている気配がない。
急に楽器を吹けなくなった私はジョーに自分を重ね、よく泣いた
芸大生の頃、仲の良かった同級生の一人が、急に楽器を吹けなくなった。
彼女の場合は、苦手な音域を練習することで全体的に調子が悪くなってしまい、吹き方がわからなくなってしまったらしい。
大学卒業後は、また別の友人も楽器を吹けなくなった。そして私も、急に吹けなくなった。
あまり詳しくはないのだけれど、今なら「ジストニア」という病名があるように、管楽器奏者が突如として楽器を吹けなくなる病気というのは、あまり珍しいことでもない。しかしいざ自分が吹けなくなると、絶望、というよりかは、驚きの方が大きかった。
最初に吹けなくなったのは、2021年の7月。急に楽器に息が吹き込めなくなって、何をどうしても音が鳴らなくなった。心療内科の先生には、「少し休んでみても良いかもしれない」と、楽器を目に触れないところに封印することを勧められた。
私が吹けなくなったのは、このドラマの始まる少し前で、ジョーと自分自身が重なって共感してよく泣いていた。
私たち芸大生は、プロの音楽家から腹式呼吸など基礎的な技術を学んでいたから、ジョーのように完全に楽器を演奏できなくなることはなかったけれど、ジョーはおそらくずっと自己流でマイペースに演奏してきたはずだ。そんな人が1日に何時間もプロの演奏家たちに囲まれて、何ヶ月も吹くことを強いられたら、体に支障をきたすことは当たり前のことである。
そんなジョーを理解してくれない人たちに、一緒になって傷ついていた。彼は心身ともに打ち砕かれてしまったから、立ち直れなかったのだろう。
中学生ぶりに練習を休んで得た快適さは、まるで禁断の果実のよう
中学生ぶりに私は、何ヶ月か楽器の練習を休んだ。その快適さといったら、まるで禁断の果実のようだ。このエッセイで書いたように、音楽家の生活とは音楽に全てを犠牲にしなければならない。
毎日、自分の欠点を見直し、練習時間の確保のためにスケジュールを管理し、空き時間があれば練習する。楽器の維持費にもお金がかかるので、欲しいものも自由に購入もできない。
切り替えが下手な私にとって、それは自分を追い詰めるのに最適だったらしい。
翌朝の心配をせずに夜更かしし、目が覚めるタイミングで起きて、ご飯を食べて、好きな時間に好きなところで好きなことをする。
この自堕落な生活に呆れや情けなさを感じることもあるけれど、その度に「それを許されるくらい、人一倍頑張ってきたんだから、今は神様からの休暇の贈り物を頂いているんだ」と思うことにしている。
さすがにジョーのようにこの先20年もこの生活を続ける度胸はないので、そろそろこの生活にも終止符を打たなければならない。私はジョーのように楽器以外何もできない訳ではないので、やる気になったら一応色々できるのだ。
けれどこの何もない日々は、私にとって束の間の楽園だった。出来ることならこんな経験はしたくなかったけれど、おかげで切り替えることや手を抜く方法を覚えた。
そしていつかこの経験が、誰かの役に立つことを願う。