寒さの冴えわたる2月、祖父が死んだ。私が6歳の時である。
共働きの両親に代わり、保育園の送り迎えをしてくれていた祖父。いつもより早い時間に、険しい顔の父が保育園の門口に姿を見せた日のことを、よく憶えている。

引っ張った祖父の腕はされるがまま床に滑る。死の存在を感じ戦慄した

祖父の家へと足を踏み入れた私は、顔に白い布をかけられ横たわる、かたい、冷ややかな体に出逢った。私は、方々に皺が刻まれた青ざめた腕を引っ張ったが、腕はされるがまま床に滑った。この無言の応答に私は祖父の体に蔓延る死の存在を感じて戦慄した。
この幼い私の人生に土足で踏み込んできた「死」という存在は、確かに身近に、しかしこちらからは手出しできない距離につきまとっていた。そのつきまとい行為にくたびれた私は、人に科された悲しい防衛本能から、祖父の面影をそっと手放した。
今、祖父の遺影を見てみる。私の知らないどこか遠くの世界に暮らしていた人という印象だ。
吽形像のように結ばれた口元。鋭い眼光。私の知っている祖父はこんなに厳格な顔つきであっただろうか。祖父はもっと、愛おしむような柔和なまなざしをしていたはずだ。
祖父に、笑ってほしい。対になるために、阿形像になってみる。……祖父に笑ってもらうどころか、自分が吹きだしてしまう(祖父の思い出映写機とかないかな、自分で作れないかな、段ボールとかで)。祖父の前ではしばしば精神的幼児退行が起こるようだ。

祖父に会うため恐山へ。生年月日を間違えたイタコが呼んだのは誰?

昨年の夏、祖父に会うために私は一人、青森の恐山を訪れた。バスにでこぼこと揺られながら、私は祖父に思いを巡らせた。
剥き出しの岩や鮮やかな極楽浜の美しさを眼前に認めた瞬間、私は恍惚としていた。
死は「腐敗」であり、「浄化」だ。むせかえるような硫黄の臭いと荒涼とした風景。水面にぴちぴちと飛び跳ねる光。まさしく、死の体現された場であった。
この死の風景のふもとにある木造の建物に入る。静かに佇むイタコの前に一歩進み出て、私は祖父の生年月日を伝えた。すると彼女は、神妙な面持ちで数珠を擦り合わせて呪文のようなものを唱え始めた。その中に祖父の生年月日が含まれていた。
しかし、私は気づいてしまった。祖父の生年月日が一日ずれている。これでは、祖父と一日違いに生誕を迎えた何者かが呼び出されてしまう。私は、急速にイタコへの信頼が失われていくのを感じた。
しかし、儀式中に口をはさむ異端者になる勇気もなく、私は祖父なのか、祖父じゃないのかよくわからないその人に、自分の思いの丈を訥々と述べた。口にした言葉は雲散霧消して山の空気に溶け込んだようだった。

私の言葉が届いていることを願いつつ床に入ったその日の夜、私は夢を見た。
祖父が、動いていた。遺影とは違う、微笑みを浮かべた祖父であった。
一言も発することはなかったけれど、私が夢に見た祖父であった。面影は私に戻された。

私の精神世界を形成するのは、祖父と過ごした記憶であり、その追憶

今、私は祖父に何を伝えよう。年齢を重ねた私は、人に話す際、おじいちゃんを祖父と呼ぶようになり、亡くなった話をする時に笑みをこぼしさえするようになった。しかし、暗黙の了解的世界に生きていても変わらない気持ちが私を満たしている。
「おじいちゃん、随分と長いこと離れ離れになっていたけれど、私の精神世界を形成しているのは疑いようもない、あなたと過ごした記憶であり、その追憶です。私がこの先、何歳まで生きようと、変わらないことです。
次、おじいちゃんと再び逢った時のために、たんとお土産話をこさえておくから楽しみにしていてね。それまで天国で幸せに待っていてね」
祖父との再会に言えることは、せいぜいこれくらいが関の山。
「それにしても、おじいちゃん相手にですます口調だなんて、やっぱり私はいくらか変わったみたいね」
そうおどけて微笑み合おう。それから恐山での珍事を話して、一緒にあのイタコの所に行って、優しく文句を言って、また微笑み合おう。