女子校時代、私は業者のごとく大勢の友達に友チョコを配っていた。クラスで特に仲の良い友達に、部活の友達に、他のクラスの友達に、友チョコを渡したいほど好きな友達がたくさんいたのだ。
渡す数は50人を超えていたと思う。大好きな友達を思いながらお菓子を作る時間は毎年楽しかった。

ただ、毎年スムーズにお菓子作りを全うできたわけではない。障壁となったのは親だった。

せっかく作った家族の分のクッキーも「友達のついで」と吐き捨てられた

私が友達に愛情を与えることを、快く思われなかったのだ。
得意のクッキーやチョコレートマフィンを作っている時、よくこんな嫌味を言われた。
「友達には作るのに、家族には作らないのね」と。
いや、実際には家族にも食べてもらえるように少し多めに作っていた。それでも、親からすればそれは友達にあげる "ついで" のお菓子だったため、私は家族を大事にしていない娘として扱われていた。

そのせいで、私は友チョコを作ることに後ろめたさも感じていた。小麦粉を買うこと、家にあるバターや砂糖を消費すること、オーブンを使うこと、すべてに申し訳なさを感じていた。当時はアルバイトもしていないので、親のお金に頼って材料を買っていたこともあり、罪悪感はひとしおだった。

親はまるで小さな子ども。「私は悪くない」とわかっていても辛かった

もちろん、頭では「私は何も悪いことはしていない」と分かっていた。それでも親から言われる嫌味の威力が絶大で、バレンタインシーズンは居心地が悪かった。

渡す前日に作っておいた形のキレイなクッキーを父親に食べられて、指摘しても悪びれもせずにいたあの顔を覚えている。
なぜか、私の親は私が友達を大事にしていることが気に食わない。まるで小さな子どもを見ているよう。それが如実に表れるのが、バレンタインの季節だった。

大学生になると、バレンタインシーズンは春休みと重なる。そのおかげで、高校卒業以来、バレンタインで悩むことが少なくなった。

もしも私が子どもを産んだら、その子どもが友チョコを作るなら

この25年間の甘い記憶を辿ってみたが、やはり頭に浮かぶ思い出は友チョコを作る上での親との葛藤だ。

もし、私も親になったら分かるのだろうか。自分の子供が友達に愛情を与えていたら寂しい気持ちになるのだろうか。まさか、子供の友達に嫉妬するのだろうか。友達にこのことを話したところで、「変わった親だね」と言われるに違いない。

そんな反応を親からされていたものだから、私は親にバレンタインのプレゼントをあまりしたくない。「愛情をくれくれ」と言わんばかりの態度を取る人より、私を笑顔にしてくれる友達に感謝の気持ちを伝えたかった。

そりゃ、親は産んで育ててくれたのだから感謝しなさいというのも分かる。分かるけれど、今でも腑に落ちない。友達を大事にすることが親を大事にしないこととは繋がらないはずだ。

私、ひとつ決めていることがある。
もし子どもを産んだら、そしてその子どもが友チョコを作るとしたら、私は全力で応援する。子どもが友達を思って一生懸命お菓子を作る姿は絶対かわいいはず。そうに違いない。
私は、自分の大切な人が自分以外の人に愛情を注いでいても、温かい心で見守りたい。