もしも今、あなたに会えたなら。
二人でいつもの公園に行きたい。冷たい素振りなんてせず、恐怖なんて感じず、今までみたいに二人で笑ってブランコに乗りたい。大好きだよって伝わるように。

たくさんのお土産を持って会いに来てくれる祖母が大好きだった

わたしは、今でもスマートフォンに入れるほど大切な、祖母との写真が2枚ある。
1枚目は、3歳のわたしがクリスマスツリーの前で祖母の膝に乗り、二人で笑う写真。
2枚目は、公園のブランコから大好きな祖母の元に笑って走って行く、祖母視点で撮った5歳のわたし。わたしは祖母が大好きで、大切だった。

母方の祖母はわたしの叔母と一緒に遠方に住んでおり、年に2度か3度しか会うことがなかった。
いつも会うときは祖母が会いに来てくれた。たくさんのお土産を持って、満面の笑みで会いに来てくれるのだ。
大きくなったね、可愛くなったね。そう言って優しい祖母はいつも微笑んでいた。祖母が来てくれている間はよく二人で散歩に行き、近所の公園でブランコに乗せてもらった。空が近づくのが楽しくて、もっと押してと何度もせがんだ。

わたしが10歳のころ、90歳を過ぎていた祖母は要介護の状態となった。一人で歩くのも難しく、お風呂やトイレにも介助が必要であった。また、認知症という忌々しい病までもが徐々に祖母を蝕んだ。

そんな状態になった後でも、祖母は一度会いに来てくれた。わたしの家の犬にも会いたかったようで、父が車で送り迎えをし、数日間を同じ家で共に過ごした。祖母が元気だった頃と同じように。たくさんのお土産を持って、満面の笑みで来てくれた。

10歳のわたしが祖母に感じた恐怖。いつしか祖母を避けるように…

それなのに、わたしは祖母を直視することが出来なくなっていた。あんなにテキパキと活発に動いていた祖母の姿は、そこにはなかった。
周りの介助がないと一人で立つことも出来ず、かろうじて家族のことは覚えていたものの、短時間で同じことを何度も聞いてくる。大きくなったね、可愛くなったね。そう言って優しく微笑むのはわたしの大好きな祖母のままなのに、別人になってしまったように感じた。
10歳のわたしは、これまでの人生で感じたことのない、言いようのない恐怖を感じた。そして、せっかく会いに来てくれた祖母を避け、自分の部屋に籠った。ブランコが定番だったいつもの散歩にも行かなかった。それが祖母との最期の時間だったとも知らずに。
その半年後、祖母は亡くなった。

棺の前で、わたしは硬直していた。
ブランコでわたしの背中を優しく押してくれた祖母のしわしわの手は、もう冷たく動かない。
大きくなったね、可愛くなったね。そうやって微笑んでくれた口元は、固く閉ざされている。
最後に会ったあの日、どうしてもっと祖母のそばにいてあげられなかったのだろう。
大好きだよって言って、同じ質問に何度でも笑って答えてあげればよかった。一人では歩けない祖母を支えて、公園にブランコを見に行けばよかった。

あれから17年。高くまでブランコを漕げるほど大人になった私

幼かった心はそんな後悔に耐えることができず、葬儀の間は胸の痛みから逃げるように何も考えないことに集中した。
泣くこともせず、表情も変えず、隣で泣く母の横で何もないただ一点を見続けた。そして、お坊さんのお経の声と自分の呼吸音だけに集中した。

ただ怖かったのだ。大好きな祖母に死が近づいているのを見るのも。棺の中の祖母が空っぽの何かに見えてしまったのも。天国に行ってしまった祖母に、もう会えないことを認めるのも。生まれて初めて”死”を直視した幼いわたしには、祖母の最期のすべてが恐怖だった。

あれからもう17年が経ち、わたしは成長した。誰にでもいつか死が訪れることも理解し、それまでの時間を後悔なく過ごすことの大切さもわかった。そして、祖母に背中を押されなくても、もう高くまでブランコを漕げるほど大人になった。
わたしは今でも時々公園に行って、ブランコに乗る。空が近づくのが楽しくて。遠い空にいる祖母に近づけるのが嬉しくて。

もし今あなたに会えたなら。そう考えてももうその願いが叶うことはない。だからブランコが一番高く空に近づいた時、心の中でそっと呟く。

おばあちゃん、ありがとう。
ずっとずっと大好きだよ。