中学生の時、地元の小さな塾に通っていた。音楽大学に行きたいと考えていたので、今後のことを考えると公立高校に入りたかった。
しかし、第一志望の高校は人気校で、内申点がある程度あっても、すれすれで受からない可能性が大いにあった。
大好きだった塾の先生。厳しくも、目の奥の優しさがわかる人だった
塾の先生は50代の女性で、シルバーの髪にテクノカット。いつも奇抜な色のニットを着ていて、問題の採点が終わると「もう一回解き直して!」と大きく、太い赤ペンでバツを書いたプリントを返しにくる。
一見して乱暴で怖そうなのだが、目の奥の優しさがわかる良い先生だった。
先生は厳しかったが、問題を間違えないで解けると「全部パーフェクト!お見事でした!」と、教室中に聞こえるくらい大きな声で褒めてくれ、夜遅くまで勉強をしているとお菓子をちょっと雑に手元に置きにきてくれたりした。
私は先生が大好きだった。
塾に通いながらも、推薦でも合格できるラインまでなんとか内申点を上げることができた私は、少し余裕ができたからか、何となく勉強をさぼりだした。
しかし、推薦には受からなかった。動揺とともに余裕のなくなった私は、落ちたその日から死ぬ気で勉強をした。油断していた自分を責めたが、先生は「今からでも充分間に合う!大丈夫!」と言ってくれた。
しかし、正直言うと不安しかなかった。一般入試では必ず受からなければいけない。レベルを下げようか、このまま頑張って推薦に落ちた第一志望の高校を受験するか。
私は先生の言葉を拠り所に、第一志望の高校を受験することに決めた。
私のことをよく見てくれている。先生からのメッセージが嬉しかった
入試前、最後に先生に会った時、不安とプレッシャーで潰れてしまいそうな私に、先生がメッセージ付きのお菓子をくれた。そこにはこう書かれていた。
「ベストを尽くせ、風邪ひくな」
精神論めいた励ましや、神頼みの言葉はなく、本来の力が出せれば結果につながると信じてくれていた先生の言葉があった。
「あなたなら持っているものを出せれば大丈夫」
少しだけがさつで、少しだけ怖いけど、私のことをよく見て評価してくれていることがわかる言葉で、嬉しかった。そして私は無事、おそらくギリギリの成績で第一志望の高校に合格した。
大学生に、そして社会人にもなれたところも、先生に見てほしかった
先生は、私が無事大学に入ってからしばらく経って、膵臓癌で亡くなった。それを知ったのは、久しぶりに会いに行こうと教室を訪れた時だった。
てっきり元気にしていると思って会いに行った私は放心してしまった。信じられないことが起こると、悲しくても涙は出ないものだ。
私の中では受験生のあの時で、先生の記憶が止まっている。元気なうちに会えなかったという後悔ももちろんあったが、元気でない先生を見るのは辛かったので、これでよかったのかもしれないとも思った。
でもやっぱり、大学生になったところも、今ちゃんと社会人になれたところも、見てほしかった。
もし今先生に会えたら、「なんとか頑張っているよ」と報告できるだろうか。