音楽ホールの爆破。顔も知らない遠い国の人々を思って私は泣いた
ロシアのウクライナ侵攻から、はやくも1週間が経とうとしている。そんな中、私はウクライナ出身の作曲家、プロコフィエフによって書かれたバレエ「ロミオとジュリエット」を弾いているところだ。
「ロミオとジュリエット」というシェイクスピアの書いたこのストーリーを、愛してやまない人は世界に多くいるだろう。
かくいう私もその一人である。
悲しい結末だとわかっていても、何度も何度も観てしまう。
中学生くらいの頃にはまって、映画になったものも何本も観て、バレエも観ていた。
そしてついに、あの穴(オーケストラピットと呼ばれる舞台前のオーケストラが入る部分)の中で演奏することができるのだと、何日も前から期待に震えていた。
リハーサルが始まる数日前から、突然、ロシアによるウクライナ侵攻が始まった。
勉強の為に聴いていたCDがウクライナのオーケストラであったことを知り、その直後ウクライナの音楽ホールも爆破されたことを知り、顔も知らない遠い国の人々の無念と切なさを思って何度も泣いた。
そんな、世界中が悲しみに包まれた中で、一昨日からバレエ団と共に練習が始まった。
敵意に満ちた戦いに心臓をぎゅっと掴まれる。死によって起こる悲劇
ロミオとジュリエットの舞台は、14世紀イタリアのベローナ。
簡単なあらすじとしては、争いの絶えない、敵対する両家の息子、娘として生まれたせいで、結婚を認めてもらえないロミオとジュリエット。
ロミオの親友が決闘中に死んでしまい、ロミオは親友を殺した相手を復讐のため殺してしまった罪でベローナを追放される。
追放されるロミオと共に逃げる為、ジュリエットは毒を小量飲んで、死んだふりをするが、ロミオは本当に死んでしまったと思い込み、自分を刺して死んでしまう。
ジュリエットが目覚めた時、そばで死んでいるロミオを見てジュリエットも残りの毒を飲んで死んでしまう(これはものすごくざっくりしたあらすじで、本当の物語は愛であふれた素敵なシーンや、心に刺さるシーンがたくさんある)。
両家の争いのシーンでは、自分のすぐ近く、ほぼ真上の舞台上で、戦闘開始の叫び声と共に、剣の当たるカキンッカキンッという音がする。
そのたび、人の本気の敵意に満ちた戦いを近くで見たことのない私は、心臓がぎゅっと掴まれるような感覚になり、心拍数が嫌な上がり方をする。
昨日の本番では、刺されて本当に死にそうな、ロミオの親友マキューシオの顔が舞台から突然のぞいて、驚きで心臓が止まるかと思った(迫真の演技すぎた……)。
でもそもそもマキューシオが死ななければ、ロミオも人殺しをすることもなく、マキューシオを刺してしまった人も死ぬこともなく、ロミオとジュリエットも死ぬこともなかったのではないか……と気づいてしまった。
だからもし私が14世紀のイタリアのベローナに行けたら、マキューシオに何としても刺されないでと言うだろう。
それでもダメならロミオに「ジュリエットは死んでないよ」と必死で伝えにいく。
でもそんなことをしたら、素晴らしい芸術が生まれないことになってしまうから……。
簡単なことが難しい。愛する人と幸せに暮らしたいだけなのに
今この世界に、ロミオとジュリエットに来ていただいて、争いがいかに無駄なことかを人々に説いて欲しい。
愛する人と離れ離れになってしまう、死ななくて良い人がいなくなってしまう悲しい結末しか生まないということを、全世界に向けて発信して欲しい。
ロミオとジュリエットが言ってくれたら、きっとみんなも聞いてくれるのではないだろうか。
いつだって、争うことを決めた大人たちではなく、その下の若い世代が、巻き込まれて辛い思いをする。
「ロミオとジュリエット」のストーリーの中でも、自分の息子娘達の死をもって、やっと、大人達は争うことをやめる。だが今更やめたって二人はもう帰ってこないのだ。
その悲しみは14世紀で、すでに人々に向かって説かれて、もう何百年も前から伝え続けられているのに、21世紀になってもまだ、なくならないのだ。
ロミオとジュリエットだって、今を生きる私たちだって、ただ愛している人たちと幸せに暮らしたい。
それだけなのに、そんな簡単なことがどうしてこんなに難しいのかと悲しくなってしまう。
だからもし二人に会えたら、ただ愛している人と穏やかに幸せに暮らすことの素晴らしさと、これ以上辛い思いをして、無念の死を遂げる人を出さないようにと、今の世界に訴えて欲しいということを伝えたい。