誰しも、不満や怒りはその場で伝えてしまうけど、感謝の気持ちを伝えるタイミングは逸してしまいがちだと思う。というか、感謝すべきことだったと後から気づくことが多いのではないか。
私にもありがとうを伝えきれなかった人がいる。高校の数学の先生だ。

突然の個人指導の提案は、全然嬉しくない。むしろ拒否したい

高校2年生のときのこと。ある日、数学の授業後、先生が私に言った。
「お前、明日から特訓や。問題選ぶからそれ解いて、毎日俺に見せに来い」
どうやら赤点常習犯の私に個人指導をしてくれるようだ。全然嬉しくない。むしろ拒否したい。

私は県内2番目(当時は)の進学校に通っていて、旧帝大なんていわれる良い大学を目指していた。だから、文系だが当然数学など理系の科目も出来なければいけない。
しかし、数学がまったく出来なかった。数字見るだけで吐きそう。
「国語と英語は出来るのに、数学が足を引っ張っとる。俺が教えてる数学のせいでお前が行きたい大学に行けんのはダメや」
こういうわけで先生は私を個人指導することに決めたようだ。

個人指導は昼休みだった。時には放課後に延長することもあり、部活に出られなくて部長に怒られた。大嫌いな数学のために昼休みや部活の時間を犠牲にしなければいけないことだけが、個人指導が嫌だった理由ではなかった。先生に構われること自体が嫌だったのだ。

「転校生の子とも仲良くしようね」
父親の仕事の都合で転校が多かった私は、小学校のときも中学校のときも、いつも先生たちから特別扱いされてきた。教師というものは真面目だから教育実習で学んだことを実践していただけなのだろうが、先生から贔屓されていると他の子に意地悪をされて嫌だった。

年頃の私は、先生に「嫌々させられている」という態度をとり続けた

そんな記憶が蘇り、個人指導の内容が頭に入らないこともあった。
静かな職員室に数学の先生の大声が響き、周りの先生や生徒がみんな自分を見ているように感じた。さらに、当時年頃の女子高生だったので、毎日授業時間外におじさん先生を訪ねる私を見て、先生と私はただならぬ関係なのではと思う生徒がいたらどうしようと不安だった。
だから、先生に対して「私は嫌々させられているんだ」という態度をとり続けた。
どれくらい続いたか覚えていないが、いつの間にか個人指導は終わった。これ以上伸びないと思われたのか、私の失礼な態度に先生が我慢できなくなったのか、終わった理由は分からないが。

3年生になり、私はセンター試験(当時はこの名称だった!)で数学とおさらばした。つまり、2次試験で数学が要るような良い大学は受験しなかったのだ。先生の期待に応えることはできなかった。

卒業式の後、職員室に行った。一生懸命私に数学を教えてくれた先生にお礼を言うために。人間として当然のことだと思った。他の生徒がどう思うかなんて気にしていられない。
ほとんどの先生は卒業生と歓談したり、写真をせがまれたりしているから職員室にいなかったが、厳しくて有名だった数学の先生はいつもどおりぽつんと自分の机に座っていた。
「ありがとうございました」
一言だけあいさつした。先生とどんな会話をしたかは覚えていない。高校の同窓会に行ったこともないので、その後先生と会うことはなかった。

私に時間をくれた先生に、「ありがとう」のひと言では足りない

もう一度数学の先生に会えるのなら、熱心な指導にも関わらず、私がずっとふてくされた態度をとっていたのは、単に贔屓されていると思われるのが不安だったからなのだと伝えて謝りたい。
他にも数学が苦手な子はいたが、なぜ私を気にかけてくれたか聞きたい。昼休みや放課後も落ちこぼれの私のために時間を使ってくれたことにお礼を言いたい。
今になって、私も先生の時間をもらっていたことに気づいたのだ。生徒に真剣に向き合う姿を見て、私もあなたのように教師になりたいと思ったこともあったと伝えたい。

母校に尋ねれば先生の連絡先を教えてもらえるかもしれないし、私たちはSNS社会に生きているのだから、もしかしたら先生と繋がる手段はあるのかもしれない。
しかし、感謝の気持ちを伝えるにはあまりにも時が経ちすぎた。卒業式の日の「ありがとうございました」だけでは足りないけれど、それでも何も言わないよりはましだったと思っている。