珍しい彼女の投稿を見なければ、私は嫉妬せずに済んだかもしれない
インスタグラムのストーリーでハッとした。親友が、大きな文学賞を受賞したらしい。
普段まったく投稿しない彼女のアイコンを囲む赤紫のラインがはじまりだった。これを押さなかったら、私は自分のどす黒い嫉妬心に気づかずに済んだのかもしれない。
「○○新人文学賞 受賞者」の欄にはっきりと彼女の名前が書いてあるスクリーンショットが貼られ、
「本名晒されている〜」
と、まるで受賞したことは本題にないかのような一文が添えられていた。
素直に喜びを表現できないという彼女の性質はよくわかっている。私たちはお互い大学の文学部で出会い、もう5年の付き合いになる。出会ったときも、小説創作の授業だったし、席を並べて授業を受け、喫茶店で本の交換をするような仲だった。彼女はきっと一人暮らしの都内のアパートで、天にも昇る気持ちでこの投稿をしたのだろう。
私は少し嫌な気持ちになってしまった。嫌な気持ちになる自分が、嫌だった。
彼女のことが好きなのに、喜ぶ度にサンドバッグにされている気分
文学賞の発表よりもずっと前に私は彼女と遊びに行く予定を立てていた。彼女から、「明日どうする?」という連絡が個人ラインにきた。その文面からは不思議とウキウキして語尾が上がっている彼女まで見えた。
「インスタグラムみたよ!受賞おめでとう」
「ありがとう。締め切りの前日にバーって書いたやつだからさ、文字数もギリギリだったよ」
「それで受賞なんてすごいじゃん!お祝いだね!」
「今度授賞式があるんだよね。気が重いよ……。ドレス買わなきゃ」
私の張り付いたような笑顔は気づかれないようで、胸をおろした。
私は彼女のことが好きだ。それだけど、どういうわけだかサンドバッグにされている気分だった。
ドラマの「女友達C」のようなセリフを言って、彼女の喜びを一緒になって喜ぶ。素直に自分を表現できない彼女の代わりに、私が飛び跳ねてスキップしなければいけない、そんな使命を背負わされた気がした。
明日遊びに行ったら、きっと1日がそういうことになるんだろう。
え〜〜、いつから書いてたの?すごいね〜〜。社会人になってからやめたんじゃなかったっけ?すごいね。作品の題材はどんなの?賞金はどう使うの?奢ってよ〜〜。会社は辞めるの?続けるの?もう作家先生だね!大先生って呼ばせてください!
歯の浮くような賛辞はいくらでも出るはずだ。そして、それを嬉しそうに謙遜する彼女の姿、その謙遜をいやいやまた〜〜と返す自分の姿を想像できた。
うろたえ、ずっと一緒に底の方で眠って欲しかったのに、と怒りも感じた
結局、その日は適当な体調不良を言い訳に、遊びに行くのをやめた。逃げなければ、と思った。
私は彼女を低く見ていたのかもしれない。これまでのようにずっと二人は一緒に肩を並べて、このどうしようもない社会を時々のコーヒーとアイドルと小説で生き抜いていくつまらないふつうの会社員の生活が続いていく、と勝手に思っていた。
私はこれからも会社員だし、彼女は作家の一歩を踏み出している。その華々しい門出だというのに、私は足を引っ張りたくなってしまった。だらりとした日常の中に突如として沸いた彼女の朗報に私はうろたえ、ずっと一緒に底の方で眠っていて欲しかったのに、と怒りすらも感じた。
そこから少し疎遠になった。
やらなければ、なんで私はやらないのか、とせっつかれた気持ちになった。一人だけ取り残さないでほしいと思った。それを言葉にするか悩んで、一応文面にしたためた。まだ彼女には、送っていない。いつか、私の青臭いプライドがなくなったとき、送れる日がくることを祈っている。