私は昔から愛を謳う言葉が大嫌いだった。
考えも行動も幼き10代の頃、元彼から「愛してるよ」と囁かれた事がある。私は感じた事がない不快感を覚え、鳥肌と震えが止まらなかった。
それは思春期特有の「気持ち悪い」、「この人の事が嫌いだ」という安易な思考ではなかった事は覚えている。しかし、その日を境に彼への見方が変わり、付き合う事に限界を感じた私は別れを告げた。

愛を模索した大学生時代、付き合ったバンドマンは3日で浮気した

愛という感情を模索している大学生時代、バンドマンの方に告白され、付き合う事になった。バンドマンという肩書きを背負っている方の良い噂を聞いた事は無かったが、私はそのパンクで自己中心的な行動に興味があった。しかし、彼は付き合って3日で浮気していた。
当時はそんな薄情な事情も知らず、彼からの偽りの愛情表現に溺れていた。初めて血の繋がらない関係で成り立った愛に、私は心酔していた。
そして偽りの愛だと分かった日から、露骨に愛情表現をするのも、されるのも疑心暗鬼になり、好きな人に対しての表現方法がよく分からなくなっていった。

当時の私は、好きになった人からは好かれないという負のジンクスがあった。そこからだろうか、自分を好いてくれる人に対し、取捨選択せずに受け入れ始めた結果、裏切られ、時には嘲笑われ、挙げ句の果てには人間自体に不信感を抱き、提供してくれる純粋な『愛』に対しても瞬く間に拒絶していった。
しかし母親からの愛は、子宮から繋がれていた形無き感情が存在している為、全ての言動や行動に無意識の愛情を感じていた。信頼できる母親から、「まず、人を疑いなさい。全てが善人とは限らない」と訓えられて育ってきたが、私にはまだその言葉の意味を理解できていなかったみたいだ。

愛情表現だけで愛の等価交換、関係性を築けない事を学んだ社会人の恋

こんな私も社会人になり、新たに恋心を抱ける人に出会った。前述した通り、負のジンクスが存在する為、慎重に育みたいという想いがある反面、疑心暗鬼にもなっていたが、晴れてお付き合いをする事ができた。私は好きな人にはとても尽くし、甘やかす傾向がある事をこの恋で知った。

その方はとてもセンセーショナルな方で、自分軸を持っているどこか惹かれる存在だった。私はそんな掴みどころが無い彼にどんどん惹かれていった。
しかし、付き合って1ヶ月のある日、「フィーリングが合わない。君には君に合った良い人がいるよ」と振られてしまった。私はその言葉が脳裏に焼き付いて離れず、フィーリングの意味を探し求めては無慈悲にも泣いてしまった。

私は愛情表現だけでは愛の等価交換、付き合う方との関係性を築けない事を学んだ。周囲の方からは「1ヶ月で良かったね!」、「傷が浅いから、次行けるよ!」などとテンプレ激励ワードを投げかけられたが、私にとってこの1ヶ月という期間は、多くの事を教えてくれたかけがえの無い大切な期間だった。

愛とは?という質問に、私の答えは「欲求を満たす為の1つの感情」

初恋、新しい出会いなど、血の繋がらない関係の「愛」に対し、様々な形があるという事を生きている中で、色々な方に教えて頂いている。
ある日、会社のミーティングの際に上司から「君にとって愛とは?」と突然問われた事があり、私は一瞬で過去の事象が蘇ってきた。そして、咄嗟に「欲求を満たす為の1つの感情ですかね」と答えた。

「欲求を満たす」という意味は、卑猥な意味も含まれるが、喜怒哀楽のすべてに当てはまるものだと思った。叱責された時は酷く落ち込んでしまうが、後々になると、この叱責が人生においての学びだったと感じる時がある。それも一種の愛情表現だと考えたのだ。

そしてミーティング後、違う既婚者で子持ちの上司から「俺は違うな、子供が出来てから変わった」と言われた。私は結婚もしていなければ、子供もいない。その瞬間から私が不信感や疑問を抱いていた『愛』は、未知の憧れへと変化した。
私は、愛には質量も無ければ力量も無い唯一無二の「感情の物質」と考えている。熱すれば熱くなり、何もしなければ冷たいままであり、適度な扱いをすると常温となる。本当に物質のようで愛おしく思えてくる。
これからも1つ1つの凡庸な出会いを大切にし、愛の成長過程を人生に刻んでいこうと思う。