「フォロワー数が多くないと、小説は出版できないよ」これは先日、出版社の方に言われた言葉。
アホじゃないの? 正直、怒りと悲しみと失望の感情がごっちゃになって震えている。
ドラマの主人公のようにはなれない私は、遠回りばかり…
「ねぇ、小説家になるためにフォロワーを集めなきゃいけないらしいよ」「それって出版社の存在意義ないじゃん!」「小説家になるためには、小説を書けばいいんじゃないの?」
「おかしい。そんなの絶対おかしい。私、絶対にフォロワーなんか増やさないんだからねー!!!!!」私が一昔前の恋愛ドラマの主人公なら、このセリフをわざわざ海に行って叫んでいるだろう。叫んだ後に、砂場を見ながら雰囲気に酔って「だって、小説を書いて小説家になりたいだけなんだもん……」とつぶやくだろう。そして、周りに誰も居やしないのに、独り言をつぶやきまくってからの、ここで深いため息をつく。
でも、私は一昔前の恋愛ドラマの主人公じゃないから、もちろんこんなこと全部やんなかった。悲しすぎて声も出なかった。血迷ってフォロワーを増やす道で考えちゃってる。
「インフルエンサーになって、それから小説を出版しようかな」「とっつきやすいライトノベルを経由して、私のなりたかった純文学作家にステップアップしようかな」とかも考えている。
芯があるようで、あんまりない。現場にいる出版社の人に「今のままじゃ無理」と言われようもんなら、動揺して自分の意思を簡単に曲げる。私、現実に生きてる人間だから、ドラマみたいに真っ直ぐ信念を貫けない。遠回りばっかりしてる。
小説を書きたいし、小説家になりたいから、私は書き続けてるの
もしかしたら、本当にフォロワーを増やすことが小説家になるための最短方法かもしれない。そうだったとしても、それで売れて、読んでくれる人って本当に私の小説を読みたいと思って、買ってくれるのだろうか。二作目や三作目と連続で、読み続けてもらえるような小説家になれるのだろうか。ライトノベルを経由して純文学作家にステップアップするとして、純文学に切り替えたとき、ライトノベルの読者は私の純文学小説を読んでくれるのだろうか。
よく「考えすぎ」って言われる。でも、そんなの考えるでしょう。十年もなりたくてがんばってきたんだよ。考えてなかったら、小説家なんて、現実味のない夢なんて、とっくの昔に諦めてる。流されるように、大学を卒業して、みんなと同じようなOLになってるよ。親にも「できるわけない」って言われたし、周りの友達は就職してるし、私の周りにクリエイターの夢を追って、安定しないWebライターで食い繋いでる人なんかいない。そんな中でも「やっぱり小説書きたいし、小説家になりたい!!!」って書き続けてるの。
なのに、今更「フォロワー増やさないと出版できない」なんて言わないでよ!!!
私に才能がないことぐらい知ってる。同い年や年下でも、文才があって、小説を書くのが上手な人ならあれよあれよと受賞して、出版してバンバン売れてる。私の小説が上手じゃないから、フォロワー数の多いSNSに頼らないと売れないから、売れないって言っているんでしょう。
才能がないと知っているからこそ、死ぬほど努力をした。それでも納得のいく長編小説を書けたことだって、一回もない。十年も書いてるのに。もちろん何かの賞を取れたこともない。考えすぎて答えが出ない…私、本当に小説家になりたかったのかな?
綿矢りさ氏のようになりたかったし、その憧れが強い。最初に『蹴りたい背中』を開いたとき「さびしさは鳴る」から始まる一文目に魅了されて、それから、ずっと私の目標だった。ずっと、追いかけて綿矢りさ氏のようになろうとして必死に書いてきた。それが間違いだったのかな。十年も費やしてしまった。綿矢りさ氏のようになれないのなら、小説家にもなりたくない。
前々から、フォロワー数の多い人が本を出版する傾向があることは、幾度となく聞いてきた。
出版社の人に「出版できない」と聞いてから、文学賞に応募するのを辞めた。がんばって続けていた小説を書く手も止まっている。
ライトノベル小説もたくさん読んだ。異世界展開モノだけじゃなかった。描写を丁寧にしている面白い作品も、少しだけ見つけられた。
凝り固まった小説観をなくして、視野を広げて考えてみた上で、考えてみようと思った。考えて、考えているけれど、全く答えが出ない。
私って、本当に小説家になりたかったのかな?