「どこでもドアがほしい」と言った彼。嬉しいけれど怖かった
「どこでもドアがほしいです」
電話越しに彼が言った。
「そしたら、今すぐにでも会えるのに」
どこでもドアは、国民的アニメ『ドラえもん』で出てくる便利アイテムだ。
青色の猫型ロボットのおなかにあるポケットから出てきたピンク色のドアを開ければ、どこにいても、どんなに離れていたとしても行きたい場所に行ける。
車で片道2時間弱かかる私たちの距離を、一瞬で埋めてくれるであろうアイテムだ。
もちろん、現代にそんなものはないし、この世界のどこかにドラえもんやのび太くんがいたとしてもそれは私たちの日常ではない。
「次の日が朝から仕事だとしても、会いに行ってしまいそうです」
照れ笑い混じりにそう伝えてくれた。
私はそれを聞いて動揺していた。
うれしかった。でもそれ以上に怖かった。
会いに来てくれるのは、もちろんうれしい。私も会えるのであれば毎日会いたいと思う。
でも、相手がそれまで作り上げた人間関係や信頼を壊してしまうような行動はとってほしくなかった。無理はしてほしくなかった。
壊れてからでは遅い。だから振り回したくないし、されたくない
私との関係は続くかもしれないし、続かないかもしれない。
続けばうれしいけれど、先のことは誰にもわからない。
一瞬の関係で全てを壊してしまえば、彼の生活はどうなるのだろう。
そう思う一方で、他のものを犠牲にしてでも今の二人の時間を大切にしたいという気持ちもわかるから、曖昧に流してしまいそうになる。
だめだ。壊れてからでは遅いのだ。
失った信頼を取り戻すのは並大抵のことではできない。
「もしも」
勇気を出せ、自分。
「もしも、あなたが次の日の朝から仕事なのに会いに来たなら、私はあなたを平手打ちしますよ」
少し強めの口調ではっきりと言った。
そして言葉にしてから暴力はよくないなと、少し反省した。
「会いに来てくれるのはうれしいけれど、それはあなたのためにはならないから」
彼は私の意見を肯定してくれたけれど、うまく伝わっただろうか。
恋は盲目とよく言うが、いつも冷静な人でさえ心を乱して余裕のない行動をとってしまう。
トーマス・マンの小説『ヴェニスに死す』という作品が好きだ。いつも冷静な初老の主人公が旅先で少年に心を奪われて疫病が流行り始めても少年と離れることができず、身を滅ぼしていく過程は恋が人をいかに狂わせ、正しいとされる判断ができないようにしてしまうかを巧妙に描いている。
恋愛体質の私は翻弄される自分にいつも呆れるし、友人にも恋愛体質の人が何人かいるので、周りを振り回す人をみて共感羞恥を感じる。行きすぎた行動でなければ恥じるようなことでもないが、俯瞰して見ると大変だなと思う。
いつも判断がしっかりしている彼の発言は意外で少し衝撃的だった。同時にいつも冷静な彼がそこまで想ってくれていることは純粋にうれしかった。
恋愛体質で失敗してきた私。自分も相手も傷つけない精神力が欲しい
矢沢あいの漫画『NANA』でこんな台詞がある。
「好きなものを大切にする為には我慢が必要なのに、どうして神様は人間を好きなものに程、我慢ができないように作られたんでしょうか。神様は悪魔ですか?」
主人公でバンドマンであるNANAのファンの女の子がヴォーカルとして有名になっていくNANAが遠くに行くようで、有名になることを少し寂しく思ったときに言ったセリフだ。
好きになればなるほど我慢が効かなくなる。心が暴走してしまう。
誰だって恋をしたことある人なら、一度は暴走する自分の言動で失敗したはずだ。
恋愛体質な私は人一倍失敗をしてきたように思う。
だから私は、我慢できる忍耐力が欲しい。
好きな人を傷つけるような言動を制することのできる精神が欲しい。
自分が自分の欲に吞まれないような強さが欲しい。
できれば相手の暴走を察して止められるくらいの強さと冷静さが欲しい。
そうすれば互いの精神をすり減らして、別々の未来を選択することも少なくなると思う。