1人暮らしのアパートへ向かう帰路。
6年前の春の夜だった。
私は仕事帰りで、隣には男友達のH君が歩いていた。
「ずっと好きだった」
H君は立ち止まってそう言い、私を抱き締めた。
踏切を電車が通過した。
私にはその時、付き合っている彼がいた。
私とH君は2年半、ずっと友達だった。
でもその関係は、あの日で終わってしまった。

私はH君を好きにならないと知っていたけど、H君はそうじゃなかった

H君との出会いはお互い大学2年生、20歳の冬だった。
私は授業を受けようと遅刻常習犯の友人のためと自分の分の席取りをしていた。
「いつもこの授業受けてるよね?一緒に受けてもいい?」
そう言いながら、私の左斜め前の席に座ったH君の第一印象は、「この人、チャラいな」だった。

2回目に会った時、一応釘を刺しておいた。
「自意識過剰かもしれないけど、もし彼女を探しているなら、私は付き合っている人がいるんだ。だから友達にしかなれないけど、それでもいい?」
「わかった。友達で」
H君とは学科が違ったため被っている授業は少なかったが、その後も会えば授業の度に彼は私の左斜め前の席に座り続け、何でもない話をしたりお菓子をくれたりした。

私という女は、29歳の今日まで、初めて会った時に男だと意識しなければ絶対に恋に落ちない。
「いい人だな」と人として好意を感じた相手は、どんなにそれからその人の魅力を知っても友達以上には絶対にならない。
反対に第一印象が最悪でも、出会った瞬間一瞬でも男だと意識した人はあっという間に翻って恋に落ちる。
だからH君を好きになることは絶対にない、と私は初めて会ったあの日から知っていたのだ。
でもH君はそうじゃなかった。

H君は、私に初めてできた特別な男友達。告白は私にとって絶望だった

「好き」と告白されるのは、たとえタイプの男子じゃなくても嬉しいことだと思っていた。
でもH君に言われた瞬間、どうしようと思った。
それは嬉しい戸惑いではなく、この関係が壊れてしまったことへの絶望だった。
H君は特別だった。
なぜなら彼は私に初めてできた男友達だったからだ。

それまでにもカラオケに行ったり、ご飯を一緒に食べたりする男の子はいた。
でもそれは、たとえばそのクラスが終わったらそれで関係がおしまいの、私のカテゴライズだと「仲のいい男子」止まりだった。
彼氏でも片想いの相手でもなく「男友達」だとカテゴライズできたのはH君が初めてだった。

初対面の印象とは違い、話してみるとH君はサークルでもゼミナールでも長を務めるしっかり者だった。
私も同い年ながら、就活の相談に乗ってもらったりしていた。

そんな彼の印象が少しずつ変わり始めた頃に、私は気づくべきだった。
頼れるH君が次第に私の前で、弱さやだめなところを見せるようになっていった。
それは心を許してくれた証だと思っていた。
乗ってもらうばかりだった相談を、いつしか私も受けるようになっていった。

私が振ることに慣れたモテる女の子だったら。今までの生き方を呪う

振り返ると、いくつものサインを見落とし、いや、見ないふりをした。

見た目も悪くないし、頭も性格もいい。
会話していても面白いのに、彼女がいないことが気になっていた。
だから初めてH君が可愛い女の子の隣で授業を受けているのを見た時、私は掛け値なしに嬉しかった。

「ねえ、あの子って?」
「最近仲良くなった子」
「よかったじゃん!めっちゃ可愛い子じゃん!頑張って」
私と彼のテンションの温度差は照れているのだと思っていた。
H君はみんなをまとめるリーダー気質らしく、感情をあまり表に出さないタイプだった。

振り返ってみれば、そうやっていくつものサインを見落としながら、いや、見ないふりをしながら卒業した。
中学校や高校できちんとたくさん男友達を作れるようなコミュニケーション能力が、もしも自分にあったら。
告白されるのなんてちょっしゅうで、振るのなんて慣れっこのモテる女の子だったら。
こんな結末はなかったと思ったら、私は私の今までの生き方を呪った。

結婚し、あれ以来初めての連絡、今までで一番正直に話した

ーー転職したタイミングで結婚式を挙げた私は、前職関係者に写真を送れとせっつかれ、個人個人に送るのが面倒くさくて、LINEのアイコンと背景を結婚式の写真に変更した。
恥ずかしかったけれど、高校時代の友人から久し振りに連絡が来て再会できたり、メリットはあった。

H君からLINEで一言、「おめでとう」と連絡が来た。
2年振りの、あれ以来初めての連絡だった。

その夜、初めて電話をした。
あれから何度も私が勤めていた店舗に会いに来てくれたこと。
でも遠くから眺めるだけで、一度も声はかけられなかったこと。
今、好きな人がいること。
会っていた時よりずっと深く、今までで一番正直に話した。
多分それはH君も同じだったんじゃないかと思っている。

あれから一度も連絡はしていないし、来ていない。
H君が、私なんかよりずっと素敵で、魅力的な誰かと恋愛していたらいいなと願っている。