中学生のころ、男の子たちにいじめられていた。思春期にありがちな陰湿な嫌がらせだった。いまだったら平気だったと思うが、当時はすごくつらかったのを覚えている。

男の子への軽蔑に似た感情と、女の子が恋愛で一喜一憂する意味不明さ

ある日、急に力が出なくなって、教室に行けなくなった。保健室で休んでいたら担任の先生が様子を見に来てくれ、決心してすべてを打ち明けた。きちんとした学校だったので、男の子たちは先生方から大目玉を食らい、そろって謝りに来た。
後日、先生からいじめの理由を聞いて驚いた。
最初に先導した男の子の言うことには、小学校の頃、僕が読みたかった本をとられたから、嫌いだった、とのこと。他にもあったのかもしれないけど、私の心にはその時、「少なくとも2年以上前の恨みで?男の子ってなんなの?」という、軽蔑にも似た感情が刻み込まれた。

それから、女の子が恋愛で一喜一憂する意味が全く分からないまま、学生時代を過ごした。別れたショックで何も手につかない子、生活が荒れる子、冷静な性格だったのに、別人のようになって彼氏にのめりこむ子。なぜそんなに男の子が良いものと思えるのか疑問だった。
高校を卒業するころにはもう結婚は私の前をちらつき始め、10代でお嫁に行った友達もいた。20代前半になると、結婚式に呼ばれる頻度が増えた。
でも私にとって結婚は、『イエティ』って本当にいるのだろうか?というのと同じくらい非現実的なことだった。

初めて好きでつきあった彼氏。もう安いドラマみたいな展開だった

そしてあの日がやってくる。26歳の時、彼氏ができた。それまで彼氏がいないことでマウントを取られるのが嫌で、やけくそで何人かとつきあったことはあったが、その彼は初めて好きでつきあった。
何が好きだったのかといわれれば、単に外見かもしれない。でも、今までとは全く違う感情があった。年上の人で、結婚も考えていかないとね、といわれて、それをうれしいと思えた自分がうれしかった。

クリスマスの夜だった。彼は出張に行っていて会えなくて、年末には絶対帰るから、といっていた。彼の部屋は駅からギリギリ見えるところにあったのだが、会社帰りふとそっちに目をむけると……あれ、明かりがついているような気がする……?

それからはもう安いドラマみたいな展開だった。本当にこんなことがあるのか、と後でむしろ笑えてきた。突撃したら、女の子が出てきたのだ。
出張は本当のようだったが、彼は元カノと切れていなかったらしい。元カノは鍵を持っていたので、彼の出張中部屋を使っていたようだ。私のことは知らなかったらしく、二人して玄関でぽかん、となった。

ここから、また誰かを好きになることがあるのだろうか

あれから時が経ち、もうすぐ30歳になる今、結婚によって友達と疎遠になったり、逆に早くに結婚した友達が離婚したりと、結婚、あるいはそれにつながる恋愛は常に身近な話題となった。
ただ私の心の、男性を好きになるための優しい部分は、もう死んでしまったような気がする。もともとすごく弱かったからだ。
二股の彼と別れ、男性に対する軽蔑の気持ちは弱まった。今は逆に何も感じない。ここから、また誰かを好きになることがあるのだろうか。

ヒマラヤ山脈では、ごくたまにルビーの原石がみつかるらしい。ネパールに行った際少しだけ近づいたことがあるが、あの雄大かつ荘厳なヒマラヤ山脈のどこかに、ルビーを含んだ岩が転がっていると思うと、なんだか底知れぬものを感じる。
今の私にとって結婚とはそういうものだ。
果てしなく過酷な道のりをくじけることなくさ迷い歩いて、運が良ければ拾うことのできるもの。ただ原石なので、磨かなければきらめかない。普通の宝石と違う点は、おそらくひとりでは磨けない、ということ。
結婚、どう思う?