「ひとり」は身軽。誰かと一緒にいるのと別の世界が見られる気がした
俗に言う「おひとり様」な過ごし方が好きだ。
ワイワイガヤガヤと大人数で集まって騒ぐのも好きだけれど、どんなに気の置けない友人相手でも気を使わないわけではない。
そう考えると「ひとり」はとても身軽で、気楽で、誰かと一緒にいるのと別の世界が見られる気がして。私は時々ひとりで色々なところに飛び込んでみる。
飛び込む先は様々だ。社会人サークルの体験にも幾つか顔を出してみたこともある、習い事も。でも何だかんだ、やっぱり一番気楽な事に流れ着く。私にとって、それはお酒だった。
コロナ禍以前だけれど、仕事終わりにひとりで色々なバーを飲み歩いた。お酒が好きなのはもちろん、おひとり様のバー巡りは、思わぬ出会いが転がっているから。
出会いといっても色恋の出会いではない。一期一会の見知らぬ隣の客と、ひょんなことから話し始め、乾杯をし、束の間の友人のような関係になる。中にはそのまま飲み友達になる事もあるけれど。
どんな店でも座るのは必ずカウンター席。カウンター席は面白い。
「お隣空いてますか?」
「ひとりなので、どうぞどうぞ」
そんな会話から気づいたら乾杯し合うのもしばしば。
「また会えたらね」と乾杯をして別れるような時間が気楽
飲みに行く土地によって、知り合う人の層が違うのも面白かった。駅職員の多い店、ミュージシャン・業界関係者の多い店、広告代理店勤めが多い店―。一期一会で、その時にしか聞けない話を聞く。気疲れしがちだけれど、人が好き。そんな私には、その場限りでとっぷりと仲良くなって、「また会えたらね」と乾杯をして別れるような時間が気楽なのだ。
もちろんバーにも客層がある。特に常連客の多い店はナンパが少なくて、ナンパは求めていない私には心地よかった。何も、話し相手は客だけじゃない。カウンター越しの店員さんだって立派な話し相手。お酒のウンチクや、好みかもしれないお酒の情報、行きつけの美味しい近所のお店の話。
もちろん聞くだけではなくて、私からも話をする。他愛のない身の上話から仕事の愚痴。仕事の話は、普段話をしない異業種の人、それも初対面の酔っ払い同士だと尚のことざっくばらんな話ができる。目からウロコな仕事への取り組み方なんかを教えてもらうこともあった。
一番印象に残っているのは、私も知っているアーティストのサポートミュージシャンから聞いた話。
「どんなに有名なアーティストと組んでも、お互いにリスペクトできないならいい演奏にならないし、客を満足させられない。それは絶対に音に出る」
仕事でも同じじゃない?、と続けて問われた言葉に、確かに、とその時の私はぼんやりと頷いた。
その時はぼんやりだったけれど、その後しばらくしてから仕事で、チームで動いた時にそのミュージシャンの方の言葉がしみじみくる出来事があって、うっかり笑ってしまった。
ボトルを入れた私も将来、何かを語れる人になりたいなあと思う
「おひとり様」に率先して話しかけてくるタイプの人は少ない。けれどそういう人達は、人としての厚みがあることが多い。人に語れるエピソードをみんな持っている。
人生の先輩達(時には年下もいるけれど、自分と違う経験を重ねている時点で先輩だ)の話を聞いて、咀嚼して。私も将来、何かを語れる人になりたいなあと思う。
コロナ禍でバーに気軽に飲みに行く、なんて楽しみがはばかられるようになって久しい。行きつけだった店が潰れてしまうケースも少なからずある。クラウドファンディングでこの危機的状況を耐え忍んでいるお店も多い。
私は特にお気に入りの、絶対なくなってほしくないお店に、いつ飲めるか分からないボトルを少しでも足しになればと何本か入れた。他の見知らぬ常連客も同じことをしているらしい。
今はもう少しだけ我慢の時。この先出会う見知らぬ人生の先輩達を思いながら、ボトルを入れるなんて自分も大人になったなと謎の感慨に浸りながら、ひとりで家飲みを楽しんでいる。