「A子と一緒にいると友達失うよ」
高校の頃、友人Bにそう言われたことがある。B子はオシャレで可愛くてスタイルが良くて、おまけに気の強い子だった。友人も多かったので敵に回したくない存在で、いつもB子の我儘に付き合っていた。しかし、その時咄嗟に出てきた言葉は、「悪い子じゃないよ」という言葉だった。もちろん猛反論された。

それを機にみんなから無視されるんじゃないか、といういつものような不安はなかった。全ての友人を失っても、私はA子が大好きで、A子を裏切るのはポリシーに反した。私は何よりも友情を大切にしたいタイプだったし、相手もそうだろうと信じて疑わないタイプだった。

昔、映画で恋人と思っていた人に裏切られて殺されるといったものを見たことがあったが、A子を裏切るくらいなら、裏切られて死んだ方がましだ、と漫画の主人公さながらの考えを持っていた。

しかし、心配をよそに、その一件があったあとも、特に私はハブられることはなかった。あとでわかったことだが、B子は実は周りから嫌われていて、A子は私のことを嫌っていた。

大学でできた友人からの裏切りを経て、人を見極めることを学んだ

大学に入り、新しい3人グループの友人ができた。高校時代とは違って気があって、秘密を共有したり、悩みを相談したり、一人暮らしの家に遊びに行っては、お泊まりなんかもしていた。

ある時、友人宅でうたた寝をしてしまい、ふと目を覚ますと、他の2人が私の噂話をしていた。おまけに勝手に私の写真撮っては、当時片思いをしていた男性に送り付けていたことがわかった。私は寝たふりをしながら2人の会話をずっと聞いていた。

ことの顛末を親友に話すと、「人を信じられるのは良いところだけど、信じすぎだ」と言われた。この友人は、高校時代に彼女の言動に私が勝手に傷ついて、勝手に嫌って、仲直りして、それからずっと親友になっている友人である。それを思うと人生は何が起きるかわからない。

「私の期待している友人像を勝手に押し付けてしまっていた、それは相手に逆に失礼なことだと学んだ」
その言葉をそのまま大学時代の3人組に伝え、それ以来連絡は取っていない。向こうからしてきても返さない。それくらいのことをしないと割りに合わないことをされたと、勝手に思っている。私も2人に何かしたかもしれないのに。

そんな私にも大学ではそこそこ親友と呼べる人ができた。あの事件以降慎重にはなったものの、一番辛い時期を助けてくれたりと、信ずるに値すると判断できた人たちだ。簡単には人を信じられなくなったのと引き換えに、人を見極めることはできるようになったと思う。
高校時代のあの親友にも「修羅場を潜ってきた人は違うね」と"褒められ”た

これからも人に裏切られ、裏切ることがあるかもしれない。それでも強くいられる。叩かれて傷ついてそれを修復してアラを削られた刃はそう簡単に折れることはないだろう。