自己肯定感の低い子どもだった私は、ピンクが好きと言えなかった

「好きな色は?」と聞かれたら、迷わずピンクと答える。
水色に浮気したこともかつてあったけど、概ね子どもの頃から変わらない。
永遠に愛するカラー、ピンク。

アラサーになった今でも、ピンクのニットもルージュもヒールもバッグも大好きだ。
キラキラピンクのアイシャドウはつけるのにちょっと勇気と工夫がいる。
プレゼントに頂くものはショッキングピンクより俄然くすみピンクが増えた。
それでもマダムになってもおばあちゃんになっても堂々とピンクが好きって言いたいし、似合うって思われる女でいたい。
でも、こんな風に言えるようになったのは大人になってからだった。
今よりずっとピンクが身近だったはずの思春期の頃、私はピンクを好きと言えなかった。

中学生の頃、私はピンクに限らず、自分の好きなものを好きと言えない子どもだった。
今思うと誰かに自分の好きなものを否定されるのが怖かったんだと思う。
私は水色とスティッチが好きという設定を自分自身の中で勝手に作り、振る舞っていた。
だから友達は皆、私の誕生日になるとスティッチのキーホルダーやタオル、便箋などをくれた。

でも、本当はピンク好きで、キャラクターもミニーマウスを可愛いと思っていた。
なんとなく女の子らしいピンクやピンクの衣装を身につけた主人公的なミニーちゃんを私なんかが好きというのは気が引けた。
私は自己肯定感の低い子どもだった。

否定されないように隠すスタイルだった私を変えてくれた彼女たち

そんな私が少しずつ変わっていったきっかけのひとつは、所属していたバスケットボール部で、はっきり意見を言う子の一言だった。
似合うと思って着ていたボーイッシュで色の強い洋服を「それは似合わない」と皆の前で断言したのだ。

「あの言い方はない」と庇ってくれる子がいる中、どこかほっとしている自分がいた。
あの一言があったから、学校でもプライベートでも好きなピンクを取り入れられるようになり、アルバイトを始めた高校生の頃には、すっかりピンク、フリル、リボン、レース、花柄といった洋服や小物で過ごしていた。

否定されないように隠すという私のスタイルを変えた代表的なエピソードは、もうひとつある。
社会人になって今の職場に転職してから、学生時代は拒絶してきた、いわゆる「オタク」と呼ばれる子たちにランチタイムに質問を投げてみた。

「もし、自分の推しや好きなものが、たとえば昔の宗教みたいに信仰していたら会社を辞めなきゃいけなかったら、どうするか?」と。
ひとりは「私は好きな推しがいっぱいいるし、好きなものを見つけるのが得意だから、会社的にもOKなものに推しをいくらでも変えられる」と答えた。
もうひとりはこう答えた。
「推しを好きな気持ちを殺さなきゃいけないくらいなら、なんの未練もなく会社辞める」と。

性別・年齢・性格に関係なく、ピンクの化粧品を手に取れる時代に

その時私は、自分の好きなものを好きって正直に誰に対しても臆せず言える彼女たちって、なんて格好いいんだろうと思った。
学生の時、拒絶していたのは嫌悪していたのではなく、こういう風に生きられる彼女たちがどこかで羨ましかったからかもしれない。と気づいた瞬間でもあった。
ピンクが好きってことくらい堂々と言っていこう、別に隠れキリシタンでもあるまいし。と思えたのだ。

先日、コロナ禍になってから足が遠ざかっていた大好きな百貨店のコスメコーナーへ久し振りに出向いた。
私のお気に入りだったピンクの見た目が可愛い基礎化粧品が、ブラックに一新されていた。
聞けば、男性もメイクする時代。
男と女とかLGBTQとかそういった性別に一切関係なく、手に取ってもらいやすいようブラックに変更したのだと店員さんはにこやかに語った。

それは素敵な理由だと思いながらも、一方でピンク好きの私としては、性別・年齢・性格に関係なく、遠慮や偏見なくピンクの化粧品が手に取れる時代になって欲しいと願ったりもした。