高校を卒業してから、約7年間ひとり暮らしだった。学生寮の頃もあったけど共用スペースは食堂くらいで、あとはすべて自分の部屋に備え付けられていた。
学生寮に入りたての頃、友達に「一緒に食堂行こ!」「ごはん食べ終わったら部屋でドラマ観よう!」と連日誘われていた。四六時中誰かと一緒にいることに疲れ、次第に断るようになった。
私ってひとりの時間が大切なんだ、と知ったのはその頃だ。

恋人も、実家も、友達も大事だけど、ひとりの時間を大切にしたい

恋人ができても、休日をすべて明け渡すことはなかった。
「土日休みの1日はひとりで過ごしたいから」
と言うと、少し寂しそうな顔をされた。
「ひとりの時間がないと生きていけないタイプだもんね」
少し皮肉にも聞こえたけど、気づかないフリをした。
恋人に言えない予定があるわけでも、すっぴんとパジャマでぐーたらするわけでもない。自分のために少し早起きをして身支度を済ませ、その日の気分で喫茶店に行ったり、パン屋でクロワッサンを買ったり、ラジオを聞きながら家事をこなしたりした。
「友達」でも「恋人」でも「社会人」でもない、何者でもない私自身とふたりで過ごす時間を大切にしてきた。

もともと幼いころから妹と同じ部屋だった。一人部屋が欲しいと常々感じていた反動なのか、実家を出て以降、誰もいないひとりの空間の心地よさを知ってしまった。
実家から一人暮らしの部屋に帰るとマイペースが許される環境に落ち着くし、ひとりの時間が足りなくなると、疲れてイライラしてしまう。友達と2人きりで3泊4日の旅行をしたときは、おっとりした人当たりの良い友達にイライラしてしまった。
実家に帰るのが嫌なわけでも、旅行中トラブルに見舞われたわけでもない。日々のどこかで、思い切り羽を伸ばせないと精神衛生上良くないと感じていた。

誰かといながら感じる虚しさに比べたら、「おひとりさま」は気が楽

そして、もうひとつ私が「おひとりさま」を選ぶ理由がある。
学生の頃、友達と映画を観に行った。映画館を出るなり、友達が口を開いた。
「いやー、良かったね」
「ね!後半すっごい迫力あった~!」
「だねー。で、この後どうする?」
映画の話題がそれ以上広がることはなく、さらっと話が切り替わったことに衝撃を受けた。映画にしろライブにしろ、何かを一緒に観たら感想を言い合って盛り上がりたかった。
他にも、恋人と喫茶店に行ったことがある。私が前から気になっていたそのお店は、街から離れた山の中にあった。とても自然豊かな居心地の良い空間に、はるばる来た甲斐があったと大満足だった。
しかし恋人は帰り道に一言、「遠いし値段は高いし、コスパ悪い店だったね」。それ以降、喫茶店にも映画にもカラオケにもライブにも、ひとりで行くことが増えた。
誰かと一緒にいながら感じる虚しさや、ひっそりと傷を負うことに比べたら「おひとりさま」の方がはるかに気が楽だった。

結婚して、誰かといながらひとりを楽しめる時間が人生に加わった

誰かと過ごす時間と、ひとりで過ごす時間。そのふたつで構成されていた私の人生に、「誰かといながらひとりを楽しめる時間」が加わった。
結婚を機に、パートナーが住んでいる部屋に引っ越すことになった。部屋はロフト付きの1K。ロフトがあるとはいえ、パートナーがいる間「ひとりきり」の空間はない。お互いが居心地よく過ごせるよう、模索する日々が始まった。

まず私が、ひとりで眠りたいと提案した。生涯を共にするであろう人と毎日機嫌よく暮らしていくには、質の高い睡眠が欠かせなかった。
私が不眠に悩んでいたのもあり、パートナーは受け入れてくれた。寝る前に「おやすみ」と声をかけて、それぞれの別の場所で寝る生活を送っている。
そして休日は、お互いがひとり暮らしをしていたときのように、気ままに過ごしている。好きな時間に起きるし、それぞれ用事があればふらっと出かける。ひとりで実家に帰省する。どちらかが「ここに行こう」と言えば出かける。
夫婦は休日は行動を共にするもの、という固定概念があった私にとって、この生活はとても快適だった。

「ひとりきり」で過ごす時間は減ったけど、新たな「ひとり」の楽しみ方を知った私。
今日も自分のためにコーヒーを淹れて、ひとりの時間を満喫する。