ひとりは大嫌いだ。寂しいから。
やる気が起きないからついつい家事も適当になるし、食欲が湧かなくて何も食べずに過ごすこともある。
外に出てもひとりで食事をすることすら苦手だ。
誰かと過ごすのは、いつだってたまらなく楽しい。
人を笑わせるのが好きで、誰かのために料理をしたりプレゼントを用意したり、イベントを調べたりすることが大好きだ。
大学でも就職しても、私は誰かと一緒に過ごすことが多かった。
同棲しているのに、恋人は出社しひとりぼっち。完全にやる気を失った
そんな生活は、急に激変することになる。
コロナのせいだ。
友だちとは会えなくなり、実家に帰れなくなった。楽しみにしていた美術展もライブも軒並み中止になった。
くだらない話をしたい。電話じゃなくて、チャットじゃなくて。大好きなお店で大好きな友だちとお酒を飲みたい。リモートじゃなくて。
そんな頃、転職をし、それを機に恋人と同棲を始めた。
広い部屋に優しい恋人、頑張れる仕事。決意を新たにしたとき、また生活は変化する。
職場が、完全リモートワークへ移行したのだ。
入社してまだ1週間。
仲間も上司もよく分からず初めて挑戦する職種。
世間話も少ない中で質問もうまくできず、どんどん自分が自信をなくしていくのが分かった。
せっかく同棲しているのに、恋人は出社していて広い部屋にひとり。そう、私の大嫌いなひとりぼっちで。
3ヶ月ほど経ち、私は完全にやる気を失っていた。
仕事に対してだけでなく、生活全般に対してだった。
毎日ただ起き、働き、家事をして、恋人と当たり障りのない会話をして眠る。仕事では質問ができるようになり、業務に支障はなかったが、それでもずっとなにか「足りない」気持ちを持て余していた。
SNS投稿が目に留まる。あんな焼きたてパンが、朝から食べられたら
そんなとき、ふと目に留まったのはSNSのある投稿だった。
私と同じくらいの年の女性が、平日の朝、出勤前に大きなパンを焼いていたのだ。
思わず目を見開いてしまった。
ホームベーカリーなしで家庭で焼けるものなのか?特別な粉や酵母を使うものではないのか?忙しい平日の朝に、時間がかかるだろうに捏ねて寝かせて焼くなんてどんな超人なんだろう。
そして何より、なんて綺麗で、美味しそうなんだろう。あんな焼きたてパンが、朝から食べられたなら。
それからは、パンのことばかり考えていた。
パンの作り方を調べ、粉の種類を調べ、スーパーで膨大な種類の小麦粉に困惑し、ドライイーストとベーキングパウダーの違いが分からず混乱した。
朝が弱い私に、早朝から捏ねて寝かせて焼くのは難しい。ほぼ不可能だ。
でもきっと、もっと簡単な方法があるはず。そう思って調べ、ついに私は最適解とも呼べるパンの焼き方にたどり着く。
お世辞にも成功といえなくても、焼きたてパンを食べるとやる気が出た
まず、パンは一次発酵と二次発酵があるらしい。ここに時間がかかるため、一次発酵までを冷蔵庫で一晩かけて行うオーバーナイト製法というものを使い、作業を2日に分けてみた。
前日の夜に材料を混ぜ合わせる。小麦粉、水、塩、ドライイーストだけ。そのまま冷蔵庫で放置し、翌朝その生地をまとめて30分ほど置いて二次発酵させ(私はその間に支度をする)、オーブンで焼くだけ。
初めて自分の手で焼いたパンは固くて、お世辞にも大成功とはいえなかった。
でも、粉を混ぜているときの独特な匂いや、寝起きで冷蔵庫を開けたときのドキドキ、焼き上がるにつれて部屋に充満する香ばしさに、久しぶりに夢中になっていた。
仕事以外の朝起きる理由ができた。
焼きたてのパンを食べるとなぜかやる気が出るようになった。
家でパン焼いているんだよね、と言うと雑談に花が咲いた。
何より、自分で、自分のためだけになにかをするのが、意外にもとても心地よかったのだ。
今でもひとりは得意ではない。ひとりはやっぱり寂しい。
それでもあの日のパンが、プリンやパウンドケーキ、パスタに幅を広げた今、案外ひとりも悪くないんじゃない?……なんて、思えるくらいにはなったのだ。