学生時代は「ひとり」でいることが罪だった。教室移動、給食の時間、昼休み、トイレまで何をするにも友達と一緒にいることが求められ、1人でいる人には「友達がいない可哀想な子」というレッテルが貼られた。
そのレッテルを貼るために、回覧板のように回っていた1軍女子を中心にしたクラス中からの無視。「次は私が標的になるんじゃないか」とビクビクして過ごした。

家に帰れば家族がいる。それは安心できる環境の反面、鬱陶しくなることもある。寝室兼勉強部屋として与えられた部屋は妹と共同。ひとり部屋を与えられた弟が羨ましかった。
どこにいても何をしていても誰かがいる。私はひとりを求めていた。

1人でバスに乗って、街に買い物に出かけたのは中学3年生の時。親には「えりちゃんと約束してるから」と、仲の良かった友達の名前を伝えて嘘をついた。心配するのが分かっていたから。

大学で始まったひとり暮らし。ただ、キャンパスではひとり厳禁

自分だけの部屋を手に入れるチャンスが巡ってきた。大学入学だ。
私は一人暮らしをしたい一心で県外の大学を志望した。必死の受験勉強の甲斐あって志望大学に合格し、念願の自分の部屋という楽園を手に入れた。しかし、すぐに私の心の中は、モヤモヤしたもので埋め尽くされていた。

当時流行していたmixi。mixi内には入学を心待ちにしている新入生のコミュニティが作られ、それぞれ仲間を見つけていく。入学してからもそれを見るのが毎日の日課となっていた。
大学でできた新しい友人たちが、サークルや部活に入って交友関係をどんどん拡大している。私も友達を増やさなくてはと必死になった。

大学に慣れてきたある日、友人数名と授業と授業の間に学食で集まっていた。学食に行けば誰かしら知り合いがいる。そのくらいには順調に友人勢力図を拡大することに成功した。

「あの子、また1人でご飯食べてる」
そう言った友人の視線の先には、私たちと同じ1年生と思われる女子が1人で定食を食べていた。「友達いないのかな。1人とか恥ずかしくて無理だわ」と続けた。他の友人たちは「私も〜」と同意していく。

それから大学4年間、私は1人の時に学食を使うことは一度もなかった。学食に行く友達が見つからない時は徒歩10分の家に帰ったり、1人で過ごしていても目立たない図書館で暇を潰した。

この4年間でmixiはTwitterやfacebookにとって代わり、タイムラインはサークルやゼミ仲間での旅行、海、飲み会など様々な友人のたくさんの写真であふれた。飲み会に参加している自分に安心し、部屋で1人暇を持て余している時間は不安に駆られた。

社会人になってもひとりは許されない。そしてコロナ禍のいま

社会人になって上京した。東京に来てまず「埋没できるな」と思った。田舎ではあり得ない人の数。この中だったら知り合いに会う可能性も低いし、1人で過ごしていても誰も私を気にしない。そう思った。

シフト制の仕事ということもあり、学生時代の友人とは休みが合わなくなった。ゆえに1人で過ごす休日が増えた。
週末になると、Instagramには友人達の楽しそうな投稿があふれる。しかし、「シフト勤務だから」という免罪符のお陰で少し気が楽だ。

休みの翌日、上司が決まって私に尋ねることがあった。
「昨日、何してた?」
そんなことを答える義務はないのだが、答える以外の選択肢は当時の私になかった。
「1人で本屋さんに行きました」
正直に答える。
「また?友達いないのかよ。休みの人探して遊べよ」
社会人になっても、免罪符を手に入れても、1人で過ごすことは許されなかった。

コロナ禍になって2年、1人行動が歓迎されるようになった。まさかこんな日が来るとは思わなかった。私の時代が来た!!
しかし、天邪鬼なもので「お一人様大歓迎!」と言われ続けると「友達と遊びたいなー」とも思う。
私の「1人好き」は、会いたいと思ったら会える友達がいるという土台の上に成り立っているようだ。