女性は「女性」「妻」「娘」という三つの立場を一人で背負う

日本で「女性」として生きることって大変だ。
なぜなら「女性」「妻」「娘」という、3つの立場をたった1人で代表して背負わなきゃいけない。
「家」文化が根強く残る日本で生まれ育つと、自分の家族には「孫の顔を見せてあげなきゃ」と、パートナーに対しては「赤ちゃんを抱かせてあげなきゃ」と思ってしまう。

2019年にある国会議員が少子化問題に関連して「子どもを3人くらい産むようお願いしてもらいたい」と発言したことが物議を醸したように、「子どもを産んでこそ、女として生まれた価値がある」という考えを持つ人は少なくない。

生涯独身を貫いた女性や、子どもがいない既婚者の女性に対しては、「産めなかったの?」と質問が投げかけられる。
「産めなかった」だけではなく、自ら覚悟を持って望んであえて「産まない」決断をしたのかもしれないのに。

結婚して子どもを産めば必ず幸せになる、というわけではない。
だけれど、「優しい旦那さんと和気あいあいとした家族をつくる」ことは、幸せの象徴であるかのように、ドラマやメディアでは扱われている気がする。

孫を望む父は「子供を生まないのに、なぜ結婚するのか」

私は、現在20代前半。実は、20歳で叔母さんになってしまった。
年上の姉は結婚し、女の子を産んだ。
頑固親父だったはずの父は、かわいい初孫が心配でたまらない、親バカならぬ祖父バカ状態に。
「おじいちゃん」と元気な声で挨拶されただけで、その日一番のニュースとばかりに私に言ってきた。

父はふと、「子どもが生まれたら手伝ってあげるからな。〇〇(私)の子もかわいいんだろうなぁ」と私に言った。
私はとっさに「そんなの、まだ10年先だよ、子ども生まれるかもわからないのに」と答えた。
当時付き合っていた彼氏は、将来を考えるような仲になりつつあって、両親も薄々気付いていた。
彼氏持ちの娘から「まだ10年先だよ」と言われたことが相当ショックだった父は、「結婚して子ども産むまでに何年も待つなら、結婚する意味がない。子どもを産まないのになぜ結婚するんだ」と言葉を吐き捨てた。

女性が「産みたい」と思う社会に。そして「産める」ためのサポートを

女性として健康に自然妊娠し、出産できるタイムリミットはあるけれど、生殖上のタイムリミットは科学技術の進歩、人工授精や卵子凍結、不妊治療によって引き延ばされつつあるなかで、「若いうちに産まないと健康な子どもが生まれない」という考えを押し付けるのは時代遅れなのでは。

「子どもを産まない」決断をした女性に対して浴びせられる、「女性としてのポテンシャルを放棄した」という冷たい視線。

日本の現在の戸籍等の制度上は、「婚姻関係にある2人の男女の間に子がいる」状態が正しく、「未婚の母のもとに生まれた子ども」や「同性カップルの子ども」はまだ日本では生きづらいのだろう。

大事なことは、「子どもを産みたい」と思ったときに「産める」ように、正しい性教育をすること、女性も自分の体は自分でコントロールできると知ること、行政や社会がサポートをすること。
婚姻関係の間に生まれた子どもと、そうではない子どもに、社会が優越をつけないこと。
「不妊治療は隠すことでも、恥ずかしいことでもない、社会に新たな命、未来が作り出されるありがたいこと」だと皆が共通認識を持つこと。

なぜなら、未来を担う貴重な子どもたちであることに変わりはないのだから。