私は結婚5年目になる29歳の女だ。旦那さんとは仲良しだ。
周りからみれば順風満帆な私たち。ただひとつ周囲に理解されないことがある。
それは私たちの将来設計の中に「子ども」の予定がないことだ。

購入した新築マンションは「二人でずっと住んでいくから」という理由で、2LDK。返済計画には私が働かない期間は設けられていない。
セックスレスなわけでも、身体的に問題があるわけでも、金銭的な事情でもない。ただただ私が子どもが嫌いで、欲しいと望んでいないからなのだ。私たちはセックスする時、必ず避妊する。
私たち夫婦はいわゆる「DINKs」だ。

賛同してくれるのは数少ない友人と、旦那さんだけ

夫婦2人の問題なんだから、2人が納得して幸せならOK。
「子どもを産むのが女の幸せ。結婚したら、必ず子ども」なんて古い。
本当にそうだろうか?

「玲さんはさ、ひとりで『もう令和だし!』って叫んでるだけなのよ」
子どもを作る予定はない旨を話せば、会社の人からは変人扱い。
両家に行けば、ちらほら出てくる子どもの話。
正直に説明しても得られない理解。
子どもの頃のアルバムを見せられるだけで、どこか感じるプレッシャーと申し訳なさ。
賛同してくれているのは、数少ない友人と旦那さんだけだ。

自分の人生、自分で自由に舵取りして何が悪いの?と思っている。子どもは誰かのために産むわけじゃない。身体を痛めて産むのも、責任持って育てるのも、お金を払っていくのも全部私たちだ。テレビや新聞の虐待する母親やネグレクトする母親のニュースが、他人事とはとても思えない。駅のホームで鬼の形相で子どもを叱っているお母さんを見ても、私も産んだら絶対そうなると思ってしまう。

完璧な母親と、関係が悪かった父親。私の選択はどちらのせいでもない

結婚してから、いや、それより前から悩んでいる。毎日のように考える。どうして自分は母親になるのが嫌なのだろう。どうして子どもがいる生活というものを幸せそうだと感じられず、多くの女性と同じように望めないのだろう。自分が精神的に未熟で子どもなのだろうか。命の責任を持つのが怖いのかもしれない。手放しで可愛い、欲しい、産みたいと願えない自分のこじれて歪んだ精神が嫌いだ。

私の母親という人は、良妻賢母の鑑のような人だった。
父親から追い出され、離れの母屋で暮らす私に毎日食事を届けてくれた。3食作ってくれてお弁当も持たせてくれた上、お菓子まで手作りで作ってくれるような料理上手な人だった。また、手提げ鞄や人形、かわいいボタンのついたカーディガン。母は手先が器用で裁縫もできた。なんでも手作りしてくれ、しかも今は無職の父親に代わり、働いて家計を支えている。
母のことを尊敬している。でも私はこんな完璧なお母さんになれない。そしてなりたいとも望んでいない。私は人として女としてもっと自由でありたい。

父親とうまくいっていなかったから?でも、自分は家族とうまくいっていなかったからこそ自分は幸せな家庭が築きたいと願って努力する人もいる。誰かのせいにはしたくない。

友人の子どもの写真を見ながら、表参道でパンケーキを食べるのが私だ

映画好きだが、母親が主人公だったり、母性をテーマにしたものは観る前にどうしてもひるんでしまう。ちょっとした覚悟が必要になってくる。自分に足りないものをまざまざと突きつけられるような気がするからだ。

世の中には子どもが欲しくて、高い治療費を払って苦労して不妊治療しても授からない人もいる。それなのに私は、と思う。せっかく女に生まれて好きな人と結婚できたのに、とも思う。それでも、高校時代の友人が二人の子どもの写真をLINEのアイコンにしているのを微笑ましく見ながらも、表参道でパンケーキ食べてる自分を幸せだと感じるのが私なのだ。

いつかこの選択を後悔する日が来るだろうか。欲しくなったら作ればいいじゃんと気楽に構えられないのだ。

こんなに多様性の時代だと言われている令和を生きているのに、全然苦しい。
出産することが結婚の付属品ではなく、選択肢のひとつとして誰もが捉えてくれる時代がくればいい。