中学校に上がる前、私は母親から性の講義を受けた。学校の保健体育でするような、生物学的な内容じゃなくて、もっとリアルな話し。

小学3年生で生理になった私は、周りの子より早熟だったから、いろいろと心配でもあったんだと思う。性について家で話すことを他の人はとても驚くけど、我が家では普通のことだった。教育方針が少し海外寄りなのだ。

お母さんは、私たち4人兄妹を不妊治療で授かった人だから、そういう性のことに関して人よりすごく勉強していて詳しかった。不妊治療に費やした金額は、とてもじゃないけど恥ずかしくて人に言えないともお母さんは言っていた。軽く家が買えてしまう金額らしい。
そこまでして子供を欲しがったお母さんの気持ちが、私にはよく分からなかった。今だってよく分からない。

「将来、子供を授かるのが難しいかもしれない」。中2の夏、先生は言った

子供、家庭、結婚、女性としての幸せ。
どれも自分とは結びつかなくてピンとこなかった。どれだけ家庭が素晴らしいものか、子供を授かる有り難みがどれほどのものか、お母さんはよく言っていた。子供はかわいい。弟たちだってそうだ。

でも、自分が育てるとなったら?自分が母親に?
なれるはずがないさ。どこかでそんなふうに思っていた。
だからなのだろうか。中学校2年生の夏。生理がどんどん重くなっていき、月に4回以上来るようになった。

「将来、子供を授かるのが難しいかもしれない」
産婦人科の先生に、そう言われた。
他にもいろいろ病状について説明されたけど、あまり覚えていない。でも、その時は特になんの感慨も湧かなかった。

そんなことよりも、部活ができないことの方が大問題だった。落ち込んでいたのはお母さんの方だ。私の前では絶対にそんな姿は見せなかったけど、分かる。娘だから。
お母さんは、私にお母さんになって欲しいんだと思う。
兄妹の中で娘は私一人だけ。自然、そういう期待だって私に集まる。
それが、心苦しく思う。

子供が産めないかもしれない。その可能性に、私は振り回されている

毎月毎月、重たい生理が来るたび、考えさせられる。
子供、家庭、結婚、女性としての幸せ。

お腹の痛みに耐えながら、私は一体どうなりたいんだろう、って。
ホルモン剤で10キロ太って、踏み切りで倒れて学校に行けなくなって、徒歩で行ける学校に転校し直して、何回も入退院を繰り返して、必死にまた部活して、勉強だって全力で、全部やり切って。

それで?この後は?
大学生になって、勉強して、バイトして、オシャレして、普通の生活になった。
部活で倒れることも、消耗することも、時間を犠牲にして練習することも無くなった。
余裕が、出来てしまった。

恋愛、結婚、家庭、子供、女性としての幸せ。
大学に入ってから、それらの影が濃くなった。
例えば、友達が好きな人の話しをするとき、仲の良い男の子と話しているとき、確かな胸のときめきを感じたとき。

脳裏にふっとよぎる。
「結婚願望っていうより、子供が欲しいかな。あー分かるー」
大学の先輩達がそう言っていたこと、私は子供が産めないかもしれないこと。

そのどれくらいあるか分からない可能性に、私は振り回されている。
産まない選択をするのと、最初から産めないのでは、全く話しは変わってくる。
たとえ愛する人と結ばれたとして、私がお母さんのように心血を子供のために注げるのか。

生理になると取り憑かれたように考えてしまうけど、前を向いていたい

恋愛の延長線上には結婚があり、そして家庭がある。
気が早いのかもしれない、硬く考えすぎなのかもしれない、大袈裟なだけかもしれない。
でも、いつかは。

生理になるとそのことばかり、まるで取り憑かれたように考えてしまうようになった。こんなの面倒だし堂々巡りだ。そんなことは分かってる。
なのに、辞められない。

我慢できないくらい辛い、わけじゃない。生理痛はきついけど、頑張れば耐えられる。
ただ、この憂鬱感を、どうも息苦しく思う。
これだけ鬱々と綴っておいて、と思うかもしれないけど、私は自分を悲観したいわけではない。前を向いていたい。

先のことなんか分からないんだし。
この弱さを振り切れる強さを、見つけたい。

今はまだ道に迷っていて、よく分からない不安があって、戸惑っているけど。
この重たい生理痛ともう少し仲良くやっていける方法を、見つけていこうと思う。