2022年3月30日午前10:07、2,885g、50.5㎝の男の子を出産した。
予定日よりも2週間近く早く産まれた我が子は、外に出てきた途端しっかりと産声をあげた。私はその声を聞いて安堵した。

生ぬるい液体の感触。破水かもと夫を起こして産院に連絡をする

29日の午後10:40、トイレに行こうとすると、生ぬるい液体の感触がした。破水かもと気が付くまでに少し時間がかかった。
それまでなんの前兆もなく、前駆陣痛と呼ばれる痛みも無かった。当日は1時間くらい散歩に出かけており、その3日前には譲ってもらったベビーベッドを1人で組み立てていたほどだった。
破水かもと感じ、夫を起こして産院に連絡をする。「入院のセットを持って来て下さい」と言われ、夫と荷物を車に積み込んで出発した。

午後11:20、破水の確認、その後モニターをつけてお腹の収縮具合と赤ちゃんの心拍状態を診てゆく。明け方に夫は仕事の都合をつける為に一旦退室、私はその間に陣痛がだんだんと強くなっていき、波がやってくると自分1人では耐えられない痛みとなり、助産師さんに腰をさすってもらう。
そのうち分娩室へ移動し波が来る度に体勢を変え、腕に繋がれている点滴を気にすることが出来ないくらい動き回り助産師さんを困らせていたと思う。

翌日午前8時頃、「少し歩いてお産を早めましょう。部屋まで歩いて戻って旦那さんに会いに行ってみようか?」と提案され分娩台を降りてみるが、歩けない。結局、分娩室で立ったり座ったりを繰り返し、午前9時30分、陣痛の促進剤を入れてもらうこととなった。
そこからは促進剤のおかげで痛みが増し、いきみも増えていく。助産師さんから「頭が出てきているよ」と声をかけられ、「早く顔が見たい!」と一気にいきんでしまい会陰切開となったが、無事に出産できた。

産後も続く痛みに、「産んだ」という実感が湧かなかった

それまで自分の母親や姉や友人など、出産を経験した人がまわりにはたくさんいるが、出産について詳しく話を聞くことはなく、幸せそうな顔で「ただ痛かった」という人が多かった。
いざ自分が妊婦となり、日に日に出産が近づく中で調べることも出来たが恐怖が増しそうで、あまり調べなかった。
経験してみて思ったことは、よく言う「鼻からスイカ」とか外傷的な痛みでなく、骨盤が割れるような鈍い痛みが泣きたいくらいつらかった。そして出産後の子宮の収縮する痛みと悪露という生理のようなものが続くこと、会陰切開により座るのもやっとだった。
当日はこれからきちんと育てられるかという不安や経験したことの無い痛みが勝ったようで、「自分がこの子を産んだのだ」という実感が湧かなかった。

だが2日経ち、それまでよほど気が張っていたことに気が付いた。
「やっと顔が見られたんだなぁ」「私のところに来てくれてありがとう」という安堵感と愛おしい気持ちでいっぱいになり、病室でスヤスヤと眠る我が子の隣で大泣きした。

「愛おしく尊い」という意味での「可愛い」を初めて感じた

私は姉妹の末っ子で、いとこの中でも末っ子だ。姉や友人の赤ちゃんに会うことはあったが、暮らしの中に赤ちゃんがいる生活を経験したことがなかった。
小さな頃から、大人になったら子どもを産みたいと考えていた。私の母は苦労話をせず、いつでも子ども第一に考えてくれていて、母になれば自然にそうなっていけるものだと思っていた。
自分が母親となった今、まだ1か月ほどだがそんな余裕はない。思うようにいかないことの方が多いし、泣けてくることも多い。本当に毎日、母は偉大だと身に染みて感じている。

母親となった人たちは、他の赤ちゃんも可愛いと癒されメロメロだ。もちろん私も赤ちゃんは可愛いと思っているが、なんでそこまで可愛がれるのだろうと思っていた。出産を経験し、やっとその気持ちが分かったような気がする。

280日間、自分のお腹の中で少しずつ大きくなっていく小さな命が外に出てきて、生きていく為に泣いて訴えかけ、満足した表情を見せてくれる。大変な時間を過ごしたからこそ、成長したことを感じる瞬間はとても嬉しい。
どう考えたって自分の子が愛おしく感じるが、他の赤ちゃんも守り育てられて産まれてきたのだと思うと「可愛い」のである。
「キュート」の「可愛い」でなく、産まれてくるまでの過程や母親の痛みや経験も含めて、「愛おしく尊い」という意味での「可愛い」を、出産して初めて感じた。