周囲が盛り上がるなか、私は愛想笑いしかできなかった

25歳。いわゆるアラサー入り。
きちんとメイクを落とさずに寝たらすぐに肌が荒れたり、昔ほど遅くまで起きていられなくなったり。歳を重ねるということの変化を感じるようになってきた。
そしてもうひとつ。結婚という二文字が現実味を帯び、手元に同級生たちからの招待状が届くようになった。
もう夢物語では済まされないこの会話には、自然と『子ども』『出産』という単語がついてくる。
「数年後には〜」「今付き合っている人と〜」なんて会話を周囲が繰り広げる中、私は愛想笑いをすることしかできない。明るい未来の話をしている周囲の盛り上がりとは裏腹に、私の心の中では『出産』『子育て』に対する恐怖が渦巻いているのだ。

周囲からはよく「いいお母さんになりそう」なんて言われるような人間であった。実際、長女である私は歳の離れた弟の世話を小さい頃からしていたし、どちらかといえば周りを引っ張るようなタイプであったからだ。周りから頼られることにも喜びを感じるし、マネジメントなどという皆が避けたがる仕事にだって興味がある。

自分の子どもだからこそ感じる、形容しがたい恐怖

子どもが嫌いなわけではなく、むしろ好きな方であるという自覚がある。環境が違えば教員や保育士になる可能性だってあったかもしれないとさえ思っている。
しかし。いや、そんな風な生き方をしてきたからこそ、自分の子どもに対して形容しがたい恐怖があるのかもしれない。

人は自分と同じ考えばかりではない。四半世紀を生き、いろいろな方と関わってきたからこそ、身をもってそれを実感してきた。中には相容れない存在になってしまった人もいたし、今振り返っても理解できない言動をとるような人もいた。
では、その価値観や考え方の違いはどこから生まれたのか。少なからずとも、そのうちの何割かは家族であるといえるだろう。

実際、私は親に自分の考えを矯正されたと感じる部分が多い。
自分の常識をたたき込んでくれたのは両親であるし、反対に親から批判をされる側にいた人を「おかしいのだ」とインプットしてきた。自分で言うのもなんだが、私は扱いやすい子どもであったので、それらを言われるがまま吸収してきた。
だからこそ、自分と相容れるのかわからない、新しい家族の存在に不安を感じる。

「もしも」と不安がっていたことを笑える日が来てほしい

もし、自分の話を聞いてくれないような存在であったら。素行不良になって、人様に迷惑をかけるような存在になってしまったら。誰かを傷つけてしまったら。
そんなもしもを考えるだけで、私が背負える責任はないと思ってしまうのだ。

そして、そんな風に子どもをコントロールできると思っている自分にも寒気がする。毒親、モンスターペアレント、そんな存在の方が近いような自分が誰かの親になれる日など程遠いだろう。

いつの日か、私も母に、親になる日が来るのかもしれない。その時になれば、きっと目の前に精いっぱいで、こんな恐怖なんて屁でもないのだろう。
25歳の出産経験も子どももいない、パートナーもいない私だから感じる不安。これを読み返したときに「そんなこと考えていた時期もあったなあ」なんて笑って言える日が来たらいいなと思う。